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2024年7月30日「馬場さん」

「バビィ」こと馬場裕一さんが亡くなられた。

僕にとっては、麻雀界で仕事をする最初のきっかけを作ってくれた人である。詳しいことは以前にnoteで書いているので、そちらをご覧いただきたい。

あの日から、馬場さんは僕のことを「九蓮の子」と呼んで気さくに声をかけてくださるようになった。麻雀界で仕事をするようになったことを報告したときも、すごく喜んでくれたと記憶している。

その後、馬場さんは大病を患う。けれども病気の体で麻雀最強戦に出場したり、YouTubeで新しい企画を立ち上げたり、体が悪くなっても漫画原作を担当したりと、できる範囲で活動を続けていた。仕事をすることで人生の張りを作り、気力をかき立てる、みたいなところもあったのだと思う。

最後にお会いしたのは、僕が馬場さんの付き人みたいなことをやったときだった。馬場さんがセガサミーフェニックスのオンラインPVにゲストとして招かれ、自宅から現場までの足がないということで、車を持っている僕が送り迎えをすることになった。そのときはまだお元気そうだったし、当日撮影した写真をお渡ししたら、とても喜んでくれた。車中でも、いろいろなお話をさせていただいた。

馬場さんは入院されたときは、お願いされて、何度か水やプリンを病院まで届けたことがあった。けれども当時はまだコロナ禍が明ける前で面会禁止、お会いすることはできなかった。そして月日が経ち、馬場さんの訃報を知った。最後にお別れをさせていただけたのは、とてもありがたかった。

享年65。早すぎる。もう少し、発展していく麻雀界の行く先を見ていたかったはずだ。けれども馬場さんが残したものは間違いなく今の麻雀界に息づいていて、未来を支える礎となっている。僕が馬場さんと関わらせていただいたのは晩年のわずかな時間のみ。長く麻雀界を共に生き抜いてこられた方々が抱く無念を、本当の意味で理解することはできないだろう。けれども僕は僕なりに、大恩ある馬場さんへの、感謝と哀悼の意を示したい。

2021年麻雀最強戦「ザ・リベンジ」A卓。観戦記を書いたのは僕だ。この試合の担当になったとき、他のMリーガー3名を差し置いて、馬場さんにスポットを当てて記事を書くことを即決した。そのときも、そして今も、自分の決断は間違っていなかったと信じている。

残念ではあるが、この対局が馬場さんにとって、公の場で麻雀を打つ最後の姿となった。そして、馬場さんにこの世界へと導いてもらった僕が、麻雀打ち・馬場裕一の最後の雄姿を文章に残した。その事実をしっかりと胸に刻んで、今後もこの世界で仕事をしていきたい。

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