2024年7月9日「じいちゃんの遺言」

僕の祖父は十数年前に亡くなっている。亡くなる数年前に高熱が出たことがあり、そこからやや記憶系に支障が出たらしく、それからは同じことを繰り返し何回も言うようになっていた。

祖父が亡くなる前、最後に会ったのは、入院している病院へ兄弟3人でお見舞いに行ったときだった。祖父は僕に、こんなことを言った。繰り返し、何度も言った。

「使われている側になったらあかん、使う側の人間になれ。そうしないと金は入ってこない」


和歌山県の生まれだった祖父は太平洋戦争で兵隊として従軍し、終戦後は大阪の運送会社で働いていた。その後、東京でビジネスを始めて成功した親族に誘われただかで上京、スクラップ回収の事業を立ち上げる。仕事はある程度うまくいっていたようで、不動産を複数所有するなど、それなりに裕福な暮らしをしていた。祖父の家は3階建ての1階が工場で、トラックや、今にして思えばスクラップ用だったのだろう、なんだかよく分からないデカい機械があったのを覚えている。

祖父は、使う側と使われる側、両方の立場を経験していた。軍隊や終戦直後の日本企業などで、現代日本で暮らす僕らには計り知れないほどの上下関係を経験していただろう。そして独立し、自分が頭に立つことで、入ってくるお金が文字通り桁違いということも、肌身で感じていたのだと思う。

そんな祖父の元で次男坊として育った父は、20代で自分のビジネスを立ち上げ、それを今日に至るまで50年近く続けてきている。そして僕には弟2人がいるのだけど、当時すでに上の弟は堅い仕事につき、下の弟は学生だったけど、自分の道を決めようとしていた。一方で僕は、大阪で営業マンをしていたけれど、特に将来のビジョンがない、その日暮らしのような生活をしていた。そんな僕を見て、金言を贈ってくれたのだと思う。


僕はずっとフリーで仕事をしたかった。それは自分の時間が自由になるから、という点が大きかったのだけど、どこかに祖父の言葉の影響もあったのかもしれない。そして、僕は後にフリーランスとなってそれなりに食えるようになり、今は会社勤めに戻りながらも半分フリーみたいな生活をしつつ、編集者としてある意味で人を使うような立場になっている。

祖父は、最後に会ってから一月も経たずになくなった。だからあの言葉は、僕にとってじいちゃんからの遺言だったと解釈している。じいちゃん、今の僕は、あなたから見てしっかりやれているのでしょうか。




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