2024年7月26日「尽きぬ悩み」
僕が大ファンのバンド「特撮」に「文豪ボースカ」という曲がある。曲はヴォーカルである「オーケン」こと大槻ケンヂの一人語りで始まる。
「オレ、オーケン 34歳独身
ぬいぐるみのボースカと二人暮らし
ミュージシャンで作家
どうして、もっと人の心を動かすものをオレは書けないんだろう
いつも悩んでいる 悩んで、悩んで・・・つらい、つらい、つらい・・・」
曲はこの後、悩みを抱えるオーケンにボースカが「代わりに書く」と申し出て・・・というストーリーが、ハードな曲に乗って展開されていく。
僕も文章を書いて生きている人間の端くれであり、この曲を聴くたびに、いつも自問自答する。万人にオススメしたいところだが、特に同じような立場の人には、ぜひ聴いてみていただきたい。曲もかっこいいよ。
文章、というか創作全般に言えることだけど、完璧とか完成なんて一生ないものだと思っている。自分の理想はいつもできることの先にあるし、そこにたどり着いたと思ったらまたその先に新たな理想が見えるようになる。そして、そこへ一足飛びにたどり着けない自分を責める。
僕も、面白いもの、人の心を動かすものを書きたいのだ。けれどもそれができない。発想がないのか、発想をまとめる文章力や技術がないのか、それとも知識不足か。おそらく足りないのは全部なのだけど、そういう中でも必死にやっていると、ごく稀にいいものが書けることがあって、そういうものは自分で手応えがあったり、周りからの評価が高かったりする。
あの喜びや達成感をもう一度。その成功体験こそが、創作の呪縛なのだ。
正直、単発でいいものを書ける人は、プロアマ問わずいると思う。情熱のこもった文章はそれだけで心が動かされるし、僕もそういう文章に触れたときはエモーショナルな気持ちになる。けれどもそういう文章だって、後から読み返せばもっと面白くなったと後悔するだろうし、そうできなかった自分を責めることもあるだろう。
そして我々は仕事として文章を書く立場であり、仕事である以上納期があり、制約もある。好き勝手に書いていればそれでOK、いつ納品しても構わない、なんていうのはごく限られた一部の天才のみに許されたことであり、そうではない我々は、スランプだろうが面白くなかろうが文章を書かなければいけない。
そういう中で苦しみながら、ときには妥協しながら、文章をひねり出す。でも、妥協ではなく目の前の文章を面白くしたいというエゴが、我々の中に存在する。その欲求こそ、我々が趣味ではなく仕事として文章を書いていくための、たった一つの素養だと思う。
おそらくこれは、創作をする人にしか共有できない悩みだ。きっとオーケンだって、その苦しみは今でもあるだろう。僕の、そしてあなたの悩みも、きっと死ぬまで尽きない。それでいい。死ぬまで苦しめ。それが俺たちの生きた証だ。
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