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🖊人で言えば菊池なんかはそういう意味では何の功績もないよ 志賀直哉 キクチ・カーンの逆襲

大衆はどうのこうのとか、つまらないこと考えていると肝心のことを見失ってしまう。日本の小説だってそのためにどんなに損しているか分からないよ。人で言えば菊池なんかはそういう意味では何の功績もないよ。小説家に或る意味の社会性を与えたことは認めるが、文学の本質から言えば何の功績もないばかりか寧ろ進歩を遅らしたよ。菊池の人に於いては直接よくは知らないが、人間の感じは確かにいい。しかし日本の小説の進歩に功罪いづれかといえば、功より罪が多かったと思うね。我々は菊池以前に出ていたから何の影響もなかったけれど、後から出た人にはいい影響はなかった。
菊池には人間的な魅力があるいに違いないんだよ。だから菊池の人間に対する反感なんかはないんだが、影響をもし受けた人があれば得はしないよ。もちろん菊池だって後世で認められようと思っていないだろうし、現実主義者だから。 志賀直哉

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菊池寛は1888年の誕生から1948年の逝去に至るまで、日本文学における重要人物であった。彼は文学者、劇作家、そして出版者としての多面的な才能を発揮し、特に文学賞「菊池寛賞」の創設者として知られる。この賞は新進作家の奨励と日本文学の振興を目指して設立され、現代においても重要な役割を果たしている。

出版界においても彼の足跡は深い。菊池寛は「文藝春秋」の創刊者であり、長きにわたり編集長を務めた。この雑誌は、文学のみならず政治や文化に関する幅広いテーマを取り扱い、日本の出版文化に大きな影響を及ぼした。

彼の文学作品には、数々の短編小説やエッセイが含まれ、「恩讐の彼方に」や「真珠夫人」などは特に有名である。これらの作品は、深い人間理解と独自の文体で高く評価され、現代でも多くの読者に愛され続けている。

菊池寛はまた、日本芸術院の会員としても活躍し、文化・芸術界への貢献も大きい。その生涯と業績は、日本の近代文学史において欠かせないものである。

彼は単なる文学者に留まらず、文化人としても社会的影響を持ち、その遺した功績は今日の日本文学界においても色褪せることがない。菊池寛の創造力と情熱は、後世の作家たちに大きな影響を与え続けている。

(発言時期を調べ中だが、その後の菊池寛はWIKIPEDIAにのっている。私がディスってるわけでなく言ってるのは志賀直哉だが、個人的には菊池寛のエピソードは大変よろしいと思います。)

 暫くすると突然、「君、博士になっとけよ」と言った。

 暫くすると突然、「君、博士になっとけよ」と言った。
その気になれば、辰野隆が何とかしてくれるだろう?」。
私が黙っていると
「君、そうしろよ。批評なんかやめちゃえよ」
と言った。菊池さんは批評家が嫌いであった
私が、「文学界」を編集していた時、新人の為に、「文学界賞」を年一回出すと菊池さんが言い出した。第一回の受賞者は中村光夫だった。第二回は保田與重郎だった。「又、批評家かね」と菊池さんは渋い顔をした。
「今度は、作家にしてくれよ。批評家に二人も賞金出すのいやだよ」
菊池さんは、物にだけ興味を持って、物の見方とか物の考え方の話になると、すぐ退屈そうな顔を露骨にしてみせた。作品もそうなので、前にも書いた通り、「啓吉物」にせよ「歴史物」にせよ、その魅力は、逸話の魅力なのである。逸話は「物」であって、「物の見方」ではない。文の技巧に頼らず、読者を直接に「物」の面白さに誘い込もうとするやり方は、菊池氏の文学上の仕事に一貫していたやり方であったが、当時の文壇は、自然主義小説への反動期で、作家は、めいめいの新技巧に腐心していた。つまり「物の見方」の方を重んじる風が強かった。自然主義小説にしても、わが国では、西洋の自然主義小説とは異なって、見たままを描くと言いながら、ことさら平凡な題材を描き、こまかな物の見方で読ます風があったのである。その中で、小説の面白さは題材の面白さが八割で、物の見方など、トルストイくらいになれば一風変わって面白いかも知れないが、普通から言えば、凡人の思い付きで、面白い題材さえつかまれば、結構いい小説は書けるという菊池寛説は、全くの俗論に思われた。菊池寛の文学は、はじめから文学青年とは縁がなかったのである。(小林秀雄)

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似たような評価で近い世代だと、カポーティー→フォークナーの評価がある。

私はフォークナーをそれほど評価しているとはいえない。彼は私に影響らしいものはこれっぽっちも与えなかった。彼の「あの夕日」におさめられた短編は気に入っている。しかし多くの作品において、彼は、読者の頭を混乱させる。自己抑制のできなかった作家だったといっていい。彼は何かについて書くという作家だった。そう、彼にとって重要なのは内容だった。彼は文章にも注意を払ったが、あくまでも内容の作家だった。彼はいい文章を書けなかった

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