地平線、甦る太古のDNA
この写真、モンタナ州からワイオミング州へと自転車で走っている時に撮った一枚だと思う。昔のことだから記憶が薄れている。当時、僕はアメリカ人の仲間たちとオレゴン街道を西から東へと自転車で向かっていた。Oregon Trail と呼ばれるこの道は、主にヨーロッパから移民としてやってきた人々が、上陸後、西へ西へと入植地を広げ、太平洋岸に辿り着くまでの幾つかのルートのひとつに名付けられた街道だ。だが、もともとこの地に住んでいたネイティブ側からすると、土地を搾取され、文化・文明を否定され、民族のアイデンティティまで奪った侵略者の道とも言える。しかし、これらは、あまりにも難しい問題なので、この場では記さずに歴史学者たちに任せることにしよう。
話を元に戻すと、僕らはこのオレゴン街道を逆方向の西から東へと向かっていた。いわゆる歴史古道なので、写真のように、今では、砂利道・一般道・山道・農道などになっているところが多いのだが、高速道路になっているところもあり、そのような場所は側道や近くのローカル道を史実に近いかたちで走ることになっていた。
出発してから、いきなりオレゴンのカスケード山脈を越え、一ヶ月近く過ぎた頃、ロッキー山脈にはいった。この山脈は南北に走る連山が複数並んでいて、その連山と連山の間には平原や川が広がっていた。
それらの平原は森や牧草地が入り交じり、僕らはそんな中をアップダウンしながらジグザグに縫うように走って行った。
突然、目の前に写真のように大平原が現れた。真一文字の地平が大胆に広がっている。走ってきた砂利道は、そのまま前方の地平線に吸い込まれるように延びている。あまりの感動に、何だか、座り込みしばらくぼーっと眺めていたい感情にとらわれた。
何だろう、この心のざわめきは?
空間を真一文字に切り裂いたその風景は、何処かで出会ったような記憶に思えた。だが、何かが違う、不思議な感情の高まりを感じた。この高まりは、僕が生まれ育った小さな島々が連なる日本列島の中で、子供の頃から憧れとして育み抱いてきた風景や大地を目の前にしたからだ、ということは否定できない。だが、それとは違った、僕の身体の何処かで何かが反応するのも感じた。
それは果たして何か?
再び自転車に跨り、地平線へ向かってペダルを踏み始める。
もしかすると、僕の身体のDNAの一つが目覚めさせられたのではないか?
太古の昔、ホモサピエンスがアフリカの大地で生まれ、様々な理由で故郷を離れ新天地を目ざす。そして、天文学的な時間と困難を乗り越え、長い旅路の果てに日本列島に辿り着く。正に、それらの旅路から創られた新たなDNAが、僕の身体の中にあるのではないか・・と。祖先達は、暗いジャングルがあれば、安全な陽光に抱かれた大地の方角を見つけ進む決断をしただろうし、大地に地平線が現れれば、それを越えたいと思って一歩を踏み出したに違いない。その思いはやがてDNAとして代々の子孫に受け継がれ、僕の身体の奥底にも冬眠していたのかも知れない。それが、呼び起こされたのだろうか?
ペダルを踏み込みながら、ふと思った。
🌏タイムマシンに乗ったような昔の旅話に付き合っていただき、ありがとうございました👍。次回はまた一ヶ月後くらいに✏
◎この旅の参考事項(思いつくままに)
★旅の期間(大陸横断全走破):5月中旬から8月中旬の三ヶ月
★毎夜、野山でテント泊。キャンプ飯。
★当時のキャンプ情報:
●キャンプ地は許可されたキャンプ場・森・林・河原・公園で。
●トイレ(ほぼ非水洗。大便は使用後に石灰を自分で撒くところもあり、衛生的に思えた👍。これは日本も真似るべきだと思った)
●シャワーは設置してある所が少なく、あっても屋外の水シャワー🚿。ロッキー山中は寒くて、皆大騒ぎしながら浴びていた。男女とも素っ裸で一緒に浴びる別グループの若者もいて、文化の違いを感じたが、その姿はまるで子供で、びっくりしながらも羨ましく思った。
●キャンプ地の生水は飲めなかった。飲んで下痢になった人も多かった。
●グループのキャンプ飯は、当番の班が、ブリキの大きなバケツ2個とガソリンコンロ2個で15名分を作った。簡単だが、それぞれが工夫していた。ある時、僕の班が作ったインスタントラーメンを、パンに挟んでサンドイッチにして食べる人が多かったのには驚いた。余談だが、ワイオミング州の田舎町に日本食材があるのにビックリ。この地域に第二次世界大戦時の日系人収容所があったせい、と聞いた。
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