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参観日。とてもよかった。

2/7息子の参観日だった。

学校行事に出向くのは好きではないが、息子がママ来ないと心配しないためだけに、そのために行く。

褒められよう、でもなく、うまく言おう、でもなく、堂々と作文を発表していた姿をみて、そのまま行けよ!!!ロックンロール!!と思いながら、大変な子育てが少し報われた気がした。

誰に出会うかで人生は大きく影響されるとは思うが、息子の担任の先生は、子どもに向き合うこのとできる、タフで賢い先生で、ほんとうにありがたく思う。
願わくば、息子がどうか、それを受け取る能力がありますように、と母は思う。

誰に出会うか、と、さっき書いたが、何かを見たり聞いたり出会ったりしたときに、はっと閃くことができるかどうかなので、結局は自分なんだけどな、と思ったり。
響かない人には響かないから。
誰かのおかげで気付けた、のは、ほんとは自分の能力なのだ。

たまにここに来ておきながら、わたしは言語化するのが得意ではない。
人に言葉で伝えるのが、苦手だ。
お腹の中ではいろんなことを考えてはいるが、弁が立つ人と裁判にでもなれば冤罪でも絶対に負ける。
なのでとにかく素直だけを心掛けている。
でも腐れた部分ももちろんあるので、弁が立つ人にマークされたら終わりなのだ。

本を読めばいいのかもしれないけど、わたしは言葉を読むことも苦手だ。
音声で耳に入ってくるラジオてきなもののほうがダントツでイメージが広がるし、音楽付きの歌詞の方がわかりやすい。要は子どもなのかもしれない。

うまく文章を書けたり、相手を論破できたり、そんな人たちに憧れたりはしないが、あまり対面したくない。
自分の感覚が埋もれるから。

本を読みすぎて、知識や情報と、自分の感覚や感情がごちゃ混ぜになるようなバカなので、情報は入れずに制作しながら自分のことを深く考えているほうが心地いい、とわたしは今は思う。

本を読め、と、ずっとずっと言われてきたことへのアンチテーゼ的な、パンクス精神がいつまでもなくならない。
1冊も読まんかったわけではないが。
だったら音楽きけよ?と言い返してやる、と、今も思っている。
でも憧れのロックスターたちは本を読んでいるのできっとわたしは間違っている。

運動しろ、も大嫌いである。
うるせーよ、と思う。
筋トレとヨガはしてるのでもうええやんと言いたい。

本当、イライラしてるなと思う。


2/15
久しぶりに、作家の友達ではなく、普通の、というか、見栄を張らなくていい、作家の顔をしなくていい友達と、時間を過ごした。
いい息抜きだった。
誰からも見栄をはれなんていわれていないけど、こんなに居心地が変わるのは、やはり好きとはいえ仕事でもあるのだろうなと改めて思ったりした。
会社に勤めていた時のしんどさは比べものにならないが。

友人には7ヶ月の赤ちゃんがいてね。
8歳の息子の赤ちゃん時代を、ダイレクトに思い出させてくれる抱き心地。
ギュン!という速さで戻ってきた息子ベビー形態の頃の記憶。
ありがとうと思った。
赤ちゃんの可愛さはほんとうに、犬より猫より余裕で上だとわたしは思う。
なんでこんなにかわいいの。ぷにぷにだねぇ。

夜は映画エスターをみた。
見なければよかった。
ホラーでも、なんだろうな、すきなホラーとそうではないホラーがあるし、好きな胸糞もあれば、心底嫌いな胸糞もあって、好きなどんでん返し、嫌いなどんでん返しetc
みないとわからないのが難しいけど、オモシレーを引き当てるために、観るしかない。と思った。

死霊のはらわたリメイク版はゲラゲラ笑いながら見れて楽しかったのにな。
わたしが女で、夫と息子と娘がいるからかもしれない。
エスター見なければよかった。まあいいか。映画だし。
何か少し違えば、エスターに感情移入できたんだろうな、ごめんよエスター、とも思う。


そして学校ってなんであんなにやたらと保護者を集めたがるのかね。
参観日の頻度の高さ。
入学式はわかるけど、説明会なんで2回あるん。
来ない人は後日資料送るから、ってことだったので、仕事もたまってたし、いかんときました。
資料もらった。
それでよくね?
なんであんなに学校に出向くことがたくさんあるんだろ。
参観日は年2回でいいし、なくてもいいよ。
運動会も音楽会も別に子どもの思い出でよくね?

保護者くるの先生もしんどいやろ。
信頼してますし任せますと言いたい。

仕事のほうが大事とはいわんけど、仕事あるってば。

それに学校行事に参加するのがあまり好きではない母親もいます。it's me.
息子は大好きだし先生に感謝も伝えたいけど息苦しいかんじよ。


まあでも、参観日で堂々とした姿を見ることができたので、それはほんとうによかった。
息子.....とおもったらほんとうに泣けたしこの1年ほんとうに担任の先生には感謝しかない。

そんなこともあるので、よいのかもしれない。
どっちやねん。ははは。

運動会や音楽会もみんなビデオに撮ったりカメラ起動した携帯の画面見たりしてますが、言っとくけど見返さないよ。
目に焼き付けて。
大きな口で歌う姿は。
大人になったらほぼ絶対見られないので、思い出せるように、脳に深くギーン!と刻印して帰ってから細かく日記に記した方がいい。


動画にしちゃうと見ないし、見てもそれは思い出すという行為にならない。見てるから。

日記を書いて後日読むことで思い出してきた感覚を大事にしてきたので、カメラは思い出とは少し違うツールで。

まあでも、みる人はみるんかな。
わたしは見ない。
子どもたちのことは大好きだが、どっぷり子育てに浸かれないのも少し悩んでいたり、まあいっかと思っていたり。


あああああああ
疲れている。
今度作家さんと美術館にいくんだな。
(ひとりでいきたい。
そのあとはまた別の作家さんと別の美術館にいくんだよな。
(ひとりでいきたかった。)

哀れなるものたち、カラオケいこ、ストップメイキングセンス、今観に行きたい映画たち。


大瀧詠一が映画は1人で行くものと言ってたが、美術館もだよなぁ。
美術館で友達と喋るの嫌なんだよな。
わたしうるさいから。
よく怒られるのよ。
ひとりだとさすがに心の中で自分と会話で終われるからね。


古着や古い音楽、そういうのが好きな自分が好きなただのサブカル女で、のめり込むほど、結局自分は特別じゃないということに落ち込んだ、という話とか。
最近目にしたの。

そういうのが好きな自分が好き、とか、まあそれでいいのでは?と思っていたりする。
なにも恥ずかしいことではない。

そんな自分が内心好きでいることがいちばんだいじなんじゃないかと思う。
むしろそんな自分が好きということを冷笑することのほうが、本当は間違っているんじゃないかと、昔から少し思っていた。
音楽が好きな自分、下手だけど楽器を持って舞台に立ったことがある自分が、そんな自分が、好きだと思う、今も。
だけれども、それも、ほんとうの好きってことなんではないかもとも思うし、昔の音楽を聴いて、心からなんて素敵なんだと思ってお風呂で1人泣いていることも本当だし、ギター弾いてる時心から楽しいのも本当だし、そんな自分が好きなのも、本当で。
見栄やプライド、と言われても、人間なのでそういうエゴみたいな側面があるのは、仕方がない、とも思う。

そういうのがなく、純粋に、好き、だけの人は、いい音楽を作れるんだろうなぁと想像したりするけど、それだけで語れるものでもないんだろうな。

あと、自慢みたいに聞こえるのは、そう聞こえる人の問題であって、話してる人全てが自慢する人ではないと、個人的に思う。
好きなことを語り散らして何が悪い?


そしてこれを書くつもりはなかったんだが、漫画家の自殺の件、ずっと気になっている。
そして調べまくって考えた末、テレビでもSNSでも言えないような、ひどいことがあった、かな....と思っている。

その流れで、さくらももこの元夫のりぼん時代の元さくらももこ担当の人が、ちびまるこちゃんのその後をドラマで実写したときのことを思い出したようで、書かれていたが。

さくらももこのエッセイは若い頃にほとんど読んでいたわたしとしては、信じられないような改変がなされていて、さくらももことちびまるこなら、笑い物にしていいだろうという態度で笑っていたとしか思えない脚本だった。
当時2歳だったので、当然見ていないが、放送されたのかと思うとファンとして死にたくなるレベルだし、そのときさくらももこはなにを思ったのだろう、どれだけ悔しくてどれだけ泣いたんだろう、と考えるとかなり落ち込んだ。
絶対原作やエッセイを読んでいてそれを面白いと思うのなら、その脚本にはならないはずなのである。

これは原作レイプだ!と、いえるほど、原作ありでメディア化されたものたちを語れる人間ではないのだが、さくらももこの元夫のツイートをみて、わたしは原作レイプがなにか?をはっきりとわかったのだった。
コンドームで終わりをむかえるちびまるこちゃんなんてありえない。まじでありえない。
まるこの視点では、一番対極にある要素なのだから。
とてもイライラしたし、今は亡きさくらももこに、このドラマを今更知って思いを馳せる自分にもイライラした。


亡くなった漫画家さんのこともまだ抜けきってなくて、トータルでなんかすごく悲しくなって。

砂時計は、読んだんだよな、若い頃。
内容はもう覚えていないんだけど。

セクシー田中さん、2巻まで読んだ。
最新刊まで読もうと思う。
1巻で終わるつもりが面白かったのだ。

続き買おう。

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