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自分の中の変化。

高校生の頃まではそうでもなかったけど、社会人になってから、誰かと一緒にいたいという欲求が強すぎて、いろんな人に依存しては乗り換え依存しては乗り換えを繰り返してきたと思う。

やたらと人と話したいし、2件目3件目いくの当たり前。
いろんな人を少し強引に誘ってたし、本当に仲のいい親友からは、そんなにいつも人と一緒にいない方がいいよ、と言われたこともあったなぁと思う。
そのときはいうことなんて聞かなかったけど。

でもそれは私の言い分としては、人を信用していただけで。
周りの人がやめときなよと嫌がる女の子とも仲良く楽しくしていたのは、その子のいいところだけをみて、そこを信じてきたからで。

ずっとそれが自分の当たり前で、みんないい人で信じられる存在で、悪い人というものは存在せず、何かしらの理由があって悪い印象を人に与えることがあるだけで、悪い人というものは存在しないと、自分の肌感でそう思ってきただけのこと。

ほんとうに周りの人と比べると、簡単に人を信用してきた。
騙されていたことに気付いてないことも多かったし、逆にこんなわたしだからこそ友達に金を借りて返さないで有名なAちゃんはわたしにだけは当日中に必ずお金を返すという方程式があったくらい。

いまでも、基本的には人を信用するべきだと思う。
相手がどうであっても、そこからしか始まらない。
まあ明らかな詐欺や怪しい宗教や怪しい勧誘は別だけれども、その人の行為ではなく、その人そのもの、は、信じるべきだと今でも思う。
信じるというよりは、どんな人か正しく観察して、その人の本質だけをみる、というかんじ。
と、今も、思うのに、なんだか最近、人と会って話すことや、誰かと何かを共有することが、私の中で幸せなことではなくなった。

好きな人はたくさんいる。
会いたい人もたくさんいる。

再び会えないまま死んでしまっても、人生でその人たちに出会えたという"点"の出来事だけでもう完全に幸せというか、なんだかそれだけでその人とわたしとの歴史としては完結しているというか。
人と会うことよりも、その人がその人のいるべき場所で幸せでいられればいいな、と、思い続けることの方が、私の中で幸せなことになってしまった。

人と会って話すこと、というのは、結局孤独を埋めるためでしかなくて。
会いたい、会おうよ、は、無意識のエゴであり、でもエゴでいいんだけど、むしろエゴからしか関わりは生まれないからそういうスタートこそ人間味でありそれでいいんだけど。
でもそんな孤独を埋めたいとか、自分にとって利であるとか、箔がつく、とか、そんな無意識に言葉ではなく感覚で気づいてしまった以上、そんな欲求を一度全て手放してみるとどうなるんだろう、何がみえるんだろうと思うようになった。

元々グループ交際とか集団行動は苦手だけれども、人に合わせるのはわりとイケる。
だけれどもどうしても滲み出てしまう女特有の同調圧力には敏感であるという矛盾にいつも苦しんでいたように思う。
男友達なんかもいるけれども、男のひとたちが本音で楽しく話すには、女はいない方が楽しいに決まっている。と思う。

人生で34年間、ずっとずっと、さみしさを抱えていたように思う。
さみしくて、人に認めてもらいたくて、自分の話を聞いてもらうために生きていたといっても過言ではない。

それがなんだか、おかしくなってきて、人と会って話すことが負担になってきてしまった。
付き合いでランチする時間があるのなら、自分の思考をとことんまで熟成させたい、と思うようになった。


あんなに自分のことを認めてもらいたかったのに、聞いてもらいたい、と思うこともなくなった。
わたしの中のかわいい子どものわたしがだんだん薄れてゆき、だけれども決して自分は出来のいい大人なんかではなく、上も下も右も左もなくただのわたしでしかない、というとてもシンプルな感覚。

わたしにとってそれは、人を信用しなくなった、ということでもあって、ものすごく寂しく思うと同時に、人への依存から抜け出せそうな、やっとこさ、そうなれた、という新しい世界にきた気分。

ものすごく晴れ渡っているがどうしたらいいかわからないみたいな。
新しいRPGが始まった時の、全然怖くないレベル1のステージが始まったような感覚。


何か一つの要素を失くすということは、何か一つ得るということでもある。
子育てしていても思う。
こうなってほしい、ここは直して欲しい、それがどんなに滑稽で、一般的にいけないことでも、それを手放した時に得るものと失うものは、どちらもが輝いていると思う。
だけれども、選ばなければならないし、わたしは、世界の掟である諸行無常に倣い、基本的には変わらなければならない、と思っている。

いままで、信じると称して、人に依存ばかりしてきたわたしは、信じることをやめると同時に、人に精神的に依存することをやめるべきなんだと思う。
一度変わって、そこから見える景色からまた学ばなければならない。


しかし、周りの人は悪い人ではない、という感覚は持ち続けながら、うまく人と距離をとって適切に付き合っていけたらいいなと思うし、自分の話はもうどうでもいいが、人の話は聞いていきたいと思う。
目の前の人がどんな考えで生きているのかへの興味はいつもある。


あんなにも、わたしをわかってほしい、と思っていたのに、こんなにもその気持ちがなくなる日が来るなんて、寂しいくらいにびっくりしている。
わたしの子どもはどこにいった。
自分とはなんなのだろうと思う。

そんなふうに思うまでにも、人との関わりは欠かせなかったから、人を信じて裏切られてきても信じ続けてきた自分を褒めたいし、知らぬ間に人を傷つけ裏切ってきたことも、同時に想う。


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