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愚痴というものへの価値観。

愚痴というものについて、どう考えるか、となると、ほとんどの人が良く思わないと思うんですが。
一般的には、女が集まると、愚痴を言う人1人は必ずいるもんで、そのひとりに自分がなることもあるんです。

聞く側になることもまあ多くて、うんざりする人もたくさんいると思うんですが。

まあ、わたしはあまり悪くないと思っていまして。

こんなに厳しい社会の中で、毒を吐き甘えられる時間があると言うことはとてもいいことだと思うし、愚痴を聞かされることも、基本的には聞いてくれそうな人だから言われる訳で。
聞いてくれそう、というのは、道を聞きやすそう、困ったら助けてくれそうという印象なので、むしろいいことだと思うんです。

ネットのちょっとしたマインド的ライフハックみたいなのなんかでは、愚痴が多い人はだめ、ってよくいいますが、ほとんどの場合はそんなに深く重たいものではありません。
ああいうのも結局同じで、愚痴を嫌いだと思ってる人へ共感を寄せているだけなんです。

愚痴ってスッキリ、その後少しふわっと飛び立てるくらい軽くなるんです。
だから、いいんです。
むしろつらいときにつらいって言えなかったら、あとあと最悪なんです。

なので、余裕があれば、聞いてあげましょうよ、と思うんです。
そうなんだね、うんうん、大変だね、って言ってあげて、あまり重く受け止めず、自分のことのように真剣に聞く必要はなくて。
相手が吐き出すことだけが目的なんですから。
聞いたからって自分も考えなくていいんです。
アドバイスもいらないし、解決策もいらないんですよ。

これがほんとの共感力じゃないかと思うんです。
聞いてほしいということだけに共感すればいいじゃないかと。

なんであんなに愚痴や悪口をダメっていう人が多いんだろうなと不思議です。
人の言葉にそんなに重みなんてなくて、言葉とは違うところに感情や本音はあるので、愚痴も悪口も、大したことではないんですよ。
聞いてみれば、こういうことなんだろうな、と、自分なりに解釈できたりして、悪くないです。
むしろ、その人の人間味を感じたりして、面白かったりもします。
と、最近きいた愚痴を思い出してみても思うんです。

わたしは愚痴を自分にこぼしてくれる人が結構好きなんです。
わたしに話してくれるんだな、って思うほうで。

ほんとに、ストレスたまってるときはさ、大変なの、と一言誰かに言って終わるだけでもなぜか少し軽くなるんだから、目的はそれでいいと思うんだよな。

いつまでも愚痴ばかりの人もたまにいますが、そういう人は吐き切ってないずっと我慢してきたひとなんだろうから、そのうちに吐ききればいいと私は思います。

ちなみにわたしも散々愚痴ってきました。
わたしはもう吐ききりました。
聞く側にやっとなれる感じがしています。
きいてくれた友達に感謝。

分断ばかりの世の中で厳しい環境を生きてくためには、そういう人もいてもいいと思うし、恥ずかしい失敗をたくさんしてきたのは、自分のためでもあったけど、弱ってる人の気持ちがわかるためでもあったと思うのでね。

あんまり人の弱いところを狙って指摘するのはよくないと、思います。
自分も人間だから。

でもまあ、そういうの聞くの嫌な人は嫌、でいいと思いますが。
嫌なことはとことん嫌だと思うので。

わたしもそんなに経験がある方ではなくて、ほんとにたくさんの経験をしてる人も、愚痴はダメって人もたくさんいるから、わたしは自分を正しいなんて絶対思えないけどね。

ただわたしは平気って話で、聞くのが好きな、そういう人もいますよって話。

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