デデデデ。わたしは真悟。missing。

-4/3-
デデデデ前章みてきました。
面白かったまじで。

浅野いにおの漫画は、20くらいのときやたらと流行ってて、その時付き合ってた人に素晴らしき世界、ソラニン、ぷんぷん(たぶん途中まで)を読め読めと言われて読んだけど、ほんとあの暗い世界観が苦手で。
あんま乗れなかったんだよね、当時。
なんであんなにみんな読んでたの?

何年かしてほんとにさいきん、そいえば、ぷんぷんのラストしらんなと(当時完結しとらんかった)ふと思って読んでみたら、めっちゃ暗くて。
やっぱ暗い、苦手、と思いつつ、それより零落が気になり読んでみたら、わたしも歳をとったからなのか、暗いことのよさというのかなよくわからんがすごく面白かったの、零落は。
ぷんぷんは若い頃のイメージ抜けなくてごめんなさい。
零落、これはいい、と。

その零落クッションがあったおかげで、まあデデデデも結果暗くてもええかと思ってみに行ったらもうすごく好みの作品でして。

帰ってからすぐ漫画を全巻Kindleで買って読みました。

ここからネタバレなので気をつけて。



もうほんとに!

マコトね!!!!
デフォルメされている中でも美形ではないし目立たないしきっとモブだと思ってたのに!!!まこと!!!
おまえ!!!!おったんかい!そこに!!!とな。

でもまあマコトは何気に純度の高いキャラクターだったね。
一緒に出てきた石川の女とは違って。名前忘れちゃったけど。
マコトみたいに生きたかったと思うから、わたしは、マコトいいなぁとなるのです。
わたしの罪悪感を心地よく逆撫でしてくれるキャラクターでした。
あんなふうに口数が少ないまま、純粋性を守りながら、いいやつで、わたしもいたかったなぁ。

父もあれよ、豪華な声優あたってんのに全然でてこんなとか、あまりに出番ないからついメタ的な嫌な見方してしまってたが、おまえーーー!でてくるんかーい!!とな。

最後の方は海老反りで喜びました。
iPad両手に持って。


でもまあ推しはやはりひろしです!!!
マコトに並ぶ、あんな人になりたかったなぁと。
どのフィクションのストーリーにもひとりはいる、こんな人がいてくれたら自分の世界は変わるのになという人。(RRRには2人いたけど)
そのたった1人が、現実世界にはいないんだよね、と。
1人で泣いてる時に、偶然通りかかって声をかけてくれる優しいヒーロー、現実にはいないし、なりたくてもそういう偶然性を必然的に作ることはできないかなしさ。

デデデデ漫画はめちゃヒットしました。ホームラン。個人的に。
もともと子どもの頃にアキラをみたときからずっと、よくわからないけどキモ面白いSFがなぜか好きでして。
異世界、ではなく。
好みにドンピシャなんだと思う。
SFの要素を恋愛で消化しないSFが好きなのよ。
そんで別に意味わからんくていい。

後章楽しみ。
(後章はじまってからの投稿になっちゃったけど。)



-5/11-
ずっと前に買ってそのまま読んでなかった楳図かずおの、わたしは真悟。
好きなミュージシャンがやたらと楳図かずおなら「わたしは真悟」がいいと推しててね。
そんで買ったまま何年も読んでなかったのですよ。
ふと、そういえば真悟読んでなかったなぁ読むか、となって読み始めたのがその日の21:00くらいで。
そこから一気でした。
うるさい子どもガン無視で。
久しぶりに夜に冴えて眠くならなかった。

子どもの頃わたしは高いところが本当に好きで。
近所の家の屋根とかに外から登ったりして、行方不明みたいになって、めちゃくちゃ探されてた武勇伝とかあるくらい、高いところが好きでした。
屋根の上に登るのが好きで。
今も好きなのかな、でも市内の山で登山して見下ろすの楽しい。怖いけど。
でも子どもの頃ほどではないな。

んでまあその、子どもの独特の感性のひとつの、"高いところが好き"、というのをあんなにちゃんと描いてくれたところがほんとうに嬉しくて。
漫画家ってやっぱ描くの楽しい少年なんだな、と。

昔の漫画ってコマ割りとか絵の描き方が今のスタンダードとは違ってて、わたしには読みにくかったりするんだけど、楳図かずおはなぜか大丈夫で。

途中途中に挟まれる、なぞの、これは?概念?としか言えないような化け物や絵ね。
セリフやオノマトペよりも、ああいうのでクワッ!とわたしは伝わるタイプで、言葉にはできないのだけど、挟まれる挿絵に、なるほどそういうことね、と思いながら読みました。

おもろかった〜。
続編は何年か前に展示でやってたみたいだけどそりゃもういけないね当然。残念。

-5/19-
家族で日帰り旅行行ってきました。
うちは夫が毎日仕事で休みがほとんどないのであまり出かけられない家庭なんだけど、たまーに、近くにキャンプいったりするくらいで。
めちゃくちゃ久しぶりの観光地でした。

鳥取砂丘は、子どもの頃、父と母と3姉妹でつまり家族で行った旅先の中で一番すきな景色でした。
季節は夏。
母だけがスニーカーでわたしたちと父はサンダルで。歩くとめちゃくちゃ熱い砂が、サンダルと足の間に入ってきて、そっちが熱くて歩けないと言ってたらしい。
母は自慢気に、わたしはスニーカーだったから、と、思い出話のたびにずっと言ってて、そういうところがかわいいなぁなどと娘ながらに思ったり。
大人になんてならなくていいよ、と、思う。

夏の鳥取砂丘は、白くて輝いていた。ような気がする。
私たち3姉妹は、その頃はやっていた子どもブランド、3年2組のtシャツを着ていたような気がする。
もちろん誰かのおさがりで。

あの時みた景色とは違っていたけど、また来られてよかったな〜。
ただ海の向こうは日本海で淡路島や四国があるわけではない、ということへの違和感がものすごく怖かった。
子どもの頃から家の近くには瀬戸内海がある生活なので、海の向こうが日本ではない海が、昔からやらたと怖いんだよな。
北に海がある、というのも、わたしの腹のコンパスがめっちゃ狂う。
思い込みが激しいわたしらしいなとは思うけど。

あの足が沈みながら登る高い丘めちゃくちゃしんどい。
けど、前の人の足跡の上を歩けば沈まなくてしんどくないよ。

青山剛昌先生のふるさと館にもいってきたよ。
コナン大好きだし嬉しかった。
コナンくんのハンカチだけ買って帰りました。
めちゃくちゃかわいいんだよ。


-5/22-
ずっと楽しみにしていたミッシングをみてきた。
フィルマークスでヴィジュアルをみたときに、これは見に行かなければ!と直感で思っただけなんですが、空白の監督さんなんだね。
空白、いい映画だった。二度も見れないけど。

DNAや基本的な性格などはそのままで、別の世界線の石原さとみがそこにいるというかんじでした。
なので、演技といっていいのか、リアルなのではないか?と言いたくなるレベルの、アクションと反応でした。

なんか笑ってしまう、などという話もあるようだ、と思って見てたけど、笑うシーン、どこだかわからなかった。

え?どこで笑うん??という感じで見られてよかったし、映画館では泣きや鼻すすりの音は聞こえても笑い声なんて一度もなかったよ。
笑うところなんかない。はい。


警察から電話がかかってきたとき。
やった!見つかった!よかった!幸せな気持ちになれる!!と嬉しくて、さおりに乗っかって嬉し泣きしていたら、イタズラでした、という、あの絶望感は忘れられないし、そのときのさおりも忘れられない。
信じられない、まじで。感情返せよ。
どんな嫌がらせしてんだよまじで。

そして砂田が撮るのをやめるところ。
もうほんとうに、映画を見にきたことを忘れるというか、え?これは映画なの?と思うくらいに、石原さとみの演技(なのか?)がなんかもう演技を超えてて。

そう、演技がうまいというところにとどまっていない。
本物だった。


この人はほんとうにいつも地上波のドラマに出てるあの人なの?校閲ガールの?アンナチュラルの??と混乱するくらい。
こっちがおかしくなりそうでした。


そして、もしかしたら、どこかのだれかのテレビマンの倫理観や道徳観により、ボツになった映像やカットは、世の中にはたくさんあって、それらを私たちはそもそも知らないのかもしれない。と希望を持ったりね。


今まで言葉に気をつけるのなんて、受け取り方だしわたしは何言われても切り替えられるから、などと、自分にできることは他人にもできると、思っていた愚かさをずっと放置していたのだが、受け取り方、とか、傷つく、とか、そんなことではなく、言わなくていいことを言わないようにしなきゃなぁと、夫婦をみて直感的に思いました。
上手く言えないけど、青木さん演じる夫さんの要素がわたしには必要。
誰の顔も浮かばない愚か者だけど、わたしもきっと、たくさん人を傷つけてきたんだろうな、と、イタズラ電話のシーンで思いました。


子どもに怒るのもやめたいな。
毎晩はよ寝ろってめちゃ言っちゃってる。
娘がいなくなったら、わたしもわたしの寝ぼけた朝に、娘の手を握ってる"感覚"に襲われるのがものすごく明るく目にみえる。



誹謗中傷をみずにいられないのは、あの日こうしていたら、そもそも自分がライブに行かなければ、ピアノをやめさせなければ、という、その時は最善だったはずのことを、失踪後振り返ると、取り戻したくなるような、無数の後悔が自分の中にあるんだろう。

悪いことをしたわけではないけど、人間だれしも自然なエゴでタラレバはうかんじゃうものだから。
その罪悪感をより深くすることで、そのかわり娘が戻るかもしれない、に近いような、根拠のない宗教のような、免罪符にするような、自分が世間から厳しく許されなければ、そんなふうにもっと苦しい思いをすれば、その先にいいことがあるかもしれないというような、無意識の宗教的な感覚かな、と思った。無意識のね。
罪悪感は時に快感になることがあって、ただなかなか気が付かないし危険な状態。

自分が傷付けば、自分が必死で懇願すれば、きっと、と思ってしまうが、現実はそんなふうには流れていないからね。


誹謗中傷を訴えるという行いは、その宗教的な、神に救いをもとめるような状態から脱したということであって、ひとつ夫婦の気持ちが進んだよってことなんだな、と。
娘のことばかりでなく、自分のことにも目を向けられる余裕がうまれたんだな、と。


虎舞竜のところは、笑いどころなんだろうけど、よく考えてみて。
なんでもないことこそ幸せだよね、という意味のことをふと思って口にするとき、何をいうか、どう言うか、どんなワードを使うか、つまり周りにどう思われるか?に集中していたら、虎舞竜ワードは自然と避けられると思う。
ぜひ口に出して「なんでもないようなことが幸せだったと思うんです」って言ってみて。
あまりに聴き慣れた虎舞竜すぎてついリーゼントまで浮かんでくるので、他の言い方の方が自然だし、逆にさけてしまうチョイスこそ虎舞竜なんよ。


ほかのワードや方言などでカモフラージュしてしまうと思う。
それをしなかったということは、さおりは、本当にそう思っていてつい口にした、ということで、別に虎舞竜の受け売りとかでなく、ほんとに思って言ったことだったのかな、と思いました。
そしてね、なによりも、虎舞竜だって元々はそうだし。
ほんとに思ったこと、であり、ほんとに大切な価値観、なのよ。

つい笑ってしまうのだとしたら、やはり画面の向こうの人を真剣に見ていないのかもしれなくて、そういう罠なんだろうな〜とおもうとほんとに好きだな。

ただ、ほんとのニュースで、娘が失踪した母親のコメントが、なんでもないようなことが幸せだったと思います、って、リアルに流れたら、虎舞竜やん!ってわたしも言っちゃう。自信ある。
これを書いてみてわたしいつもニュースをそんなふうに軽くみてるなと気がついて。

映画では、さおりに集中していたから、笑わなかっただけで。

ほんとうにすごい作りの映画だよね。
映画ってこんなことまでできるんだ、っていう。
ほんとにすごい。
それめいんのじゃない、のところもね。
となりのトトロはしっかり浮かんじゃいましたね〜。
ピンクだし。

最後の方の虹のカットはすごくよかった。
ほんとにああいうなんでもないような日常の小さな景色に救われることってあるよね。
やっぱり虎舞竜の言うことはとても大事なことだよね。

その後さくらちゃんの母やさくらちゃんと繋がりができて、なんだかほっと涙。
はたとうばんをやるのも、娘の手がかりが何か、なんでもいいから、何かあればってこともだけど、こんなことがもう起きてほしくないという健全な気持ちなんだろうなと思った。
人間は悪人ではないよね。

私にもちょうど6歳の、言葉で表しきれないくらいめちゃくちゃかわいい娘がいて。
そういう意味では石原さとみにライドできるし、わたしもあれくらいキレられるし、夫にも温度差で当たり散らすと思う。
テレビに被害者ヅラして平気で出れる。
誕生日も改変する。
それで娘が見つかる手がかりに繋がると思えるの、すごくわかる。
人々に忘れられたらおわりだし、今よりほんの少しでも認知されるなら、それを選ぶと思った、普通に。
娘のことを、顔を覚えてほしい、国民のみんなに。

今はそうなんだけど、子どもの頃はそれこそ弟と同じタイプでした。

ああいう変な子どもだったし、変であることを責められて、何も言えなくなり、余計に責められるみたいなことが、昨日のことのように蘇る。
責められすぎると嘘をつくようになるのもものすごくわかる流れでした。
正当化してはいけないけど。
話せよ!というのなら、聞く姿勢を持ってる人にしか言いたくないんですよ。
お前みたいな威圧的な奴に、決めかかってくるやつに、話したくないというあの閉鎖してる感覚は、すごくわかる。
子どもの頃ずっとあれだった。
母親だけが味方だった。

んで謝るのが遅くて遅くて、今更、なのも。
それも覚悟はしている。
ああいう人のことを怪しいとか変な人だとか思わずに生きてこられたから、その点においては、わたしはよかったのかなと思ったりした。

弟が犯人と思うシーンはわたしにはひとつもなかった。

夫とのギャップはあって、基本的にライドするキャラクターやポイントが違う。
そのたびに昔の記憶に障るけど、夫みたいに常識やルールを守ってしっかり生きている人もいるから、どっちがいいも悪いも言えない。

ああいういかにも怪しい人を怪しそうにうつして、この人怪しい、と、してくれたのがすごく嬉しかった。
怪しい人、変な人、いかにもやってそうな人、ほとんどが普通の人ですわたしからしたら。
変な人には変じゃないまともな側面があって。
それが最後のこんなのあった、の、動画なのよ。
ほんとうにありがとう。
こどもの頃、というか今もあるけど、責められると何も言えなくなってしまって。

弟はさとみと話しててえらいな。

わたしは、そのまま、一生、本音はたぶん墓まで、墓つくらんけど、遺灰に閉じ込めるタイプ。


ひとつ言いたいというかわたしの希望として、もう少しサイレントマジョリティを描いてくれないかなと思う。
ネットは狂ってる、ように見えるけど、見てるだけで黙ってる人、見ていない人、ネットすらしてない人、が、どれだけいるか。
結構いるんだよ、snsやってませんってひとたち。

街ゆく人たちのほんとうは優しくてまともな人たち。
めちゃくちゃおる。
いい意味での面白い人もめちゃくちゃおる。
わたしの体感だけど。
近所のコンビニの店員さんですら、よく話してくれて娘をめちゃ可愛がってくれる。

テレビの画面を見てる人たちも、サイレントマジョリティがほとんどだよね。
マイノリティの声がでかいやつらで世の中動いているわけではない、とは言いたい。

実は何も言わない人が世の中を動かしているんだよほんとは。




おわり。
でででの後章まだ見に行けてない。
近所でいい時間にやってない。
いけるかな。

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