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ハプニングは楽しい。

今日も今日とて、美術館へ。

しかし今回は母と。
わたしは2回目のさくらももこ展。
そしてPerfumeの衣装展へ。

夫に駅まで送ってもらい、ふふふ、という気持ちで少し足を弾ませながら、登り電車に乗った。

10分ほどで、いきなり止まる電車...。
あ.....これは.....あれですか。
そうです人身事故です。

こんなときにみんな冷静なのはやっぱりすごいなと思いつつ、隣のおばあちゃんと少しお話し。

「わたしは次の駅で私鉄に乗り換えて東へ向かおうかなと思います。」
「そうなの。わたしは私鉄に乗ったことがなくて、わからないからこのまま電車で待っていようかしら。」
「そうですか。」

その後電車は少し動いて、私鉄に乗り換えられる駅に到着。
そのまま振替運送となった。

「私鉄、わからなければ一緒に行きますか?わたしは少し手前で降りますが、そのまま乗ってたら大阪に着きますよ。」
「じゃあ一緒にいこうかな。」と、お隣のおばあちゃんを連れて、私鉄のホームで母と合流。

おばあちゃんと少し話しながら、珍しく人がたくさんいる私鉄にゆられていた。
おばあちゃんの隣でいつも通りキラキラ光る海を見ていた。
目的の駅に着き、その後座れて寝ていたおばあちゃんを起こして、お別れをした。
家は近所なのでまた会えるかもね、と言いながら、手を握って、笑顔でわかれた。
おばあちゃんの手はあたたかかった。
今はもういない自分のおばあちゃんを思い出した。
おばあちゃんは無事に大阪に着いて、ご家族に会えるかな。と思った。


母と、目的地まで歩く。
母は、わかりやすくいうと少し変わっているが明るい人だ。
それ本当なの?という歴史を信じていたり、いつもいっぱい喋っていて、少し恥ずかしいと思ったこともあった。
でも今日はそんな変わり者の母を、この人は社会よりも少し浮いている無邪気な天使なんだな、と、少し思った。
その人をそのまま育てるのは難しいことだ。
母をそのままにしておいたおばあちゃんを尊敬するし、母をそのままにしてくれたからわたしもそのままなんだと思う。
ありがとうと思う。

私が死んだらあなたにこれをあげるね、という、話とかもして、お母さん気が早い〜と笑い飛ばしたりしたけど、帰ってきたらじわじわと来る。

そうだった、自分の死よりもたぶん、最愛の母の死のほうが、先に来るんだった。
いつか自分は死ぬということは日々考えるのに、母の方が早いということを本当によく忘れる。

わたしのことを全て認め続けてくれた母がいなくなることは、愛を失うに等しい。
と思い少し泣けたが、わたしの生活はこんなことに浸る時間もなく、子どもたちに話しかけられるので、自分の考えに浸る時間はすぐに強制終了する。


さくらももこ展2回目はよかった。
やっぱり買えばよかったというお土産と、前から欲しかった漫画を購入。
スーパーボールのガチャガチャもした。
今月はもう遊びにいく予定はないので、少し余裕があった。

Perfumeの方は、母が行きたいとのことでふら〜っとした感じで見に行ってきたのだが、ああいうすごい人たちの衣装を間近で見られるというのは初めてだったので、なかなかに楽しかった。
どの衣装もものすごく可愛かった。
あと10センチ身長が伸びて、もう少し足が細かったら、着たい。
のっちはなぜいつもスカートではなくパンツなのだろう。キャラ付け?と何度も思った。

とある衣装をじっと見てると、そういえばわたしもアイドルになりたかったと思っていたことがあったなぁ、と、ふわっと思い出した。
なんの努力もしなかったのに、アイドルに、歌手に、"なりたかった"という気持ちだけは一丁前に残っている自分をものすごくダサく感じた。
後悔すらしていない自分に、なんだかため息もでる。

でもまあ、良くも悪くも自分がその程度だということを、やっと受け入れられているので、ダサいのは当然のことだ。


母と過ごして、わたしは、母の子どもとして生まれてこられたことをよかったなぁと思える。
つまり、父の子どもでよかったなぁということでもある。
大袈裟だけど、こういう大袈裟な性格なのでしかたがない。

わたしの娘と息子も、いつか、そう思ったりしてくれるのだろうか。
生まれてこられてよかったと、思いながら生きていてほしいな。



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