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迷いがある。

嫌なことがあっても、そうなんだね、と受け流せるようになったし、ユーモアで笑い飛ばせるようにもなった。
しかし、それがいいことなのか、つまり、本当にそれが自分の理想なのか?はわからない。

特になんもなく、そこらへんで息をしてるだけの一般人だけど、強く美しくありたいと思って生きてきた。
けれども、うまくいかないことばかり、失敗ばかりで、自分がいかにだめな人間かを思い知るばかりだったが。

そしてやっと、いろんなことを受け入れられるようになった、怒りを手放すことができた、とは思うけど、いざなくなってみると、こんなにも寂しいものなのか、と泣ける。

人に期待しないことも、わたしはほんとうにこれが、欲しかったのか?と思う。
いままで人に依存しすぎてたんだと思うけど、もっと若い時の、感情に振り回されていつも泣いていた、笑ってもいた、みっともないあの頃の自分にはもう二度となれない。
それを捨てたんだからそれなりの何かを手に入れたいのに、まだ何も見つからなくて。
このままないままかもしれない。
間違いばかりのわたしは、美しかったなぁと、振り返ってみると思えるのだ。

だけれども、気づいた段階では言動はまだ追いつかず、今までの癖が残ってるみたいに夫には甘えて怒ったりする。

また怒ってしまった。
何も言わなくなったら終わりでは?
その間で揺れる日々。

感情を大切にして生きてきたし、理性ももちろん同じくらい大切にして生きてきたつもりだ。
きっと20点くらいだろうけど、その20点は答案用紙ではなくキャンバスとして考えたなら100点で。

それを捨ててしまった、というか、捨てるしか進む方法がなかった、ということが、ものすごく悲しい。

初恋のときみたいに、周りなんか見えずに、ギターを持って歌うその人の声と笑顔のしわに見惚れていたような、あんな純粋な時間はもう来ないんだな、と思うと、心の底から全部すてて、その頃に戻りたくなるような。
でも戻れないってわかってるし全て諦めているような。

なんだろうな、だけれども、同じ場所に居続けることはできない性分で、同じことばかりしていくこともできなくて。

人と関わっているときと、ひとりでじっくり考え抜くときと、大きな波はあるよなぁと思う。

ここまできた、けど、欲しかったものとは全然違う、けど、毎度毎度しっかり考えて、その時の精一杯の選択をしてきた結果ではあるので、否定することはできないが苦しい。
行きたい方に進んできたのにいつの間にか道に迷うマイクラのサバイバルみたい。

また答え探しの旅に出なければならない。
やっぱり、また、人と繋がることしかないのかなぁと思うし、二十歳の頃に思った、人は人と関わってないと死ぬという考え方はずっと間違ってないと思うし、また同じことをやるしかないのかなぁ。

なんだかもう、いろんなことを上から見過ぎてしまって、たった3年前の、オーガニックにはまってた自分ですらばかだったな、と可愛く思ってしまう。
おかしいよね。
すごい直近のじぶんだよ。


このところ人との関わりは諦めていたけど会いたい人というのは明確にいて。

会いに行けばなんか変わるかな。
変わんないか。
会いたいな。
なんか変わるかなんてどうでもいいか。
会いたいって感覚で行くだけでいいか。

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