永遠はないと感じる日々

こんばんは。

急に重いタイトルなような気がしますが、最近、本当に「永遠はない」ってつくづく感じる事が多い気がします。

人間関係であったり、今の仕事だったり、人の命だったり、ずっと続くことはなくて、どこかのタイミングで別れや終わりはどうしてもあるわけです。

そして、そのお別れが人の力では抗えない場合がありますよね。

特にヒトと関わることが好きな僕にとっては、様々な事情で会えなくなってしまう人がいることにどうしても慣れなくて、メンタルが落ちてしまう事が多いです。

まあ1番分かりやすいところでいうと、死んでしまった人にはもう生きて会うことは叶わないわけです。

コロナになって数年、そんなお別れが身近で割と頻繁にあった気がします。

家族であったり、友人であったり、オタク活動で知り合った仲間であったり、好きで応援していたミュージシャンであったり。

そんな情報が耳に届く度に『きっついな…』と内心思っておりました。

もう少しライトなところで言うと所謂『卒業』や『解散』『引退』なんてところがありますね。

グループからの卒業、バンドの解散、スポーツからの引退、etc…

これも、まあ少し形は違いますが、そのヒトのライブであったり、音楽であったり、プレイといったことを当たり前に享受してきたのが、突然そこでストップしてしまう。

これも割とメンタルにきちゃいます。メンタル弱弱です。表にはあまり出さないようにはしてますが、実は弱っています。

そんな様々な形のお別れは、前もって知らされることもあれば何の前触れもなく訪れる瞬間もあるわけで。

これも何回も言い古されている言葉だとは思いますが、やっぱり『会える時に会う』『やれるときにやる』ってほんとうに大事ですね。

あたかも一万年も生きるかのように行動するな
不可避のものが君の上にかかっている
生きているうちに、許されているうちに、善き人たれ
マレクス•アウレーリウス 自省録 (岩波文庫) 47, 48頁

ローマ帝国の帝王もこんな言葉を残すくらいです。
(耳が痛くなる言葉)

つまり、何が言いたいかって、

ちゃんと会えるうちに元気なうちに会える人にあっておきなさいよ

ちゃんもやれるうちにやりたいことやっておきなさいよ

という自戒を、今回の記事に残しておきたくてツラツラと余計なことも含めて書いたのでした。笑

それでは、また明日!

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