【大切なものだから】

押入れからアナログ盤レコードが5枚でてきました。当時はレコードを買うと、まずテープにダビングして聞いていたので、実際に使ったのはどれも1回だけです。見た目は新品同様です。ディスクユニオンで2210円もの高値でした。アナログ盤は人気なのかもしれませんね。ところで、記念の品で、思い出がいっぱい詰まったものは無理して捨てる必要はありません。大切に保存すればよい。もちろん捨てても良い。あるいは、ジモティ、メルカリ、リサイクルショップなどで、欲しい方に譲ることもできます。その判断は自分で好きなように決めればよい。


ただし、古いものを持っていると、デメリットもあります。考えや行動がどうしても影響されます。自分の身の回りを見渡しますと、持ち物や守るべきもので手一杯です。新しいものが入ってくる余地は微塵もありません。おそらく、気付かないうちに、考え方のベースとなる土俵が、持ち物や記憶に固定される。つまり現状からの大幅な逸脱を想像できなくなってしまいます。このことは取りも直さず、無意識のうちに、多くの好機を見逃しますし、いろんな可能性を押し潰すことになるでしょう。過去にしがみ付いたままでは、新しいことはできないでしょうね。


原因は、物品や思い出が多すぎるからです。たとえば、私の場合ですと、自分の管理能力をすでに超えています。「あれはどこへやったかな?」と探してばかりいるし、なにかと「面倒くさいなあ」と思いとどまってしまう。これらの症状は、「自分の管理能力をすでに超えている」ということの明らかな証拠です。


若い頃は十分な管理能力があっても、年齢とともにその能力は下がります。一方、物品や思い出はどんどん増えるばかりです。現状の生活をそのまま続けると、将来はおそらく膨大な持ち物や思い出の管理業務に追われる日々でしょう。何もすることなく時間とともに枯れていくことになる。膨大な量のものと記憶の重さで潰れてしまう。こう言っては申し訳ないのですが、先人たちが皆さんそうだったので、おそらくは間違いなく同じ道をたどる。そこには決して新しい機会は訪れません。というのは、新しいものが入ってこられる余裕がないから。


これからも新しい機会に出会い、楽しいことをしたい、新しいことを始めようと望むのでしたら、まずは、余裕をもって自分で管理できる範囲内に、「もの」や「こと」を収めることが必要です。つまり身の回りに「隙間」や「余白」や「無駄」をたくさんつくる。そこには何も無いように見えますが、実際には無尽蔵の可能性で満たされている。捨てた量、手離したものの多さに応じて、新しい機会がやってくるような気がしますが、さあて、どうでしょうか?