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機関誌マラソン 35号 感想

機関誌マラソン 35号 感想      大山憲一郎  
                2022.12.25(日)16:28~18:40

塾長理念
ビジネスの本質を忘れるな

どのような意味だろうか。
読む前に考えてみた。

ビジネスの本質

商売の本質

お客様に喜ばれること

利他の心

だろうか?

京セラのビジネスの本質を見誤らなかった塾長は素晴らしいと思いました。そのように真似をさせてもらいます。ありがとうございました。

塾長講話―第30回
「京セラフィロソフィ」の真髄をひもとく

「京セラフィロソフィ」16

ルーペを片手に製品をじっくり観察する。
歩留まり向上はまずは製品を観察することから

製品への深い思い入れがあって はじめて「声」は聞こえてくる

製品の語る声に耳を傾け 手の切れるような製品を作る

ロスを当たり前にしない

発明、発見は観察力のたまもの

機械の鳴き声を敏感に聞き取る

調和の感覚のない人間に 不良や異常は発見できない

人、物、金、すべてを伝票と一致させる。1対1対応の原則

特例は一切設けない

1対1対応は、企業の透明性を高め、不正を防止する

1対1対応ができているかどうかは利益率の変動を見れば分かる

現地法人にも1対1対応の経理処理を徹底させる

善人に罪を作らせないためのダブルチェックの原則

代表者印の扱いもダブルチェックで

経営の原則はシンプルに考える
「ものごとをシンプルにとらえる」

ファクターを加えることによって複雑な現象を単純化する

心を鎮めれば 物事の真髄が見えてくる

心の研究Ⅰ
欠野アズ紗さん

すべてをありのままに受け入れる

「絶対肯定」の人生は、やがて真の”愛”と出会う

絶対肯定は、己をむなしくすることからはじまる

心の研究Ⅱ
大西正純さん

選手の気持ちが変わらなければチーム自体も変わらない

マネージャーから見た プロ野球の選手たち

目標の違いが、結果の差を生む

苦労を重ねて夢を掴む選手たち

常勝球団に向けて四つの取り組み

経営の経営
木野親之さん

GHQに立ち向かい松下幸之助再起

人間を研究して、好きになる

「幽霊会社にだけはなるなよ」

「困っても、困ったらあかんで」

「万策尽きたと思うな。一生懸命やれば、必ず新しい風が吹く」

「君、社長を辞めたらどうや」

「弁償するまで、君を辞めさすわけにはいかん」

「人間は本来、強いものだと思うんだ」

一円玉の無限大

進むべきか、留まるべきか、右に行くべきか、左にすべきか
人はときとして岐路に立ち、決めかねて思い悩む
迷いのとき、
でも、それは同時に新しい出発のときかもしれない
                                 松下幸之助

経営体験発表Ⅰ
芝原英司さん

母の希望で家業を手伝うことに

兄たちが分社独立し 経営を引き継ぐ

心を高める場を求めて 天風会や盛和塾に学ぶ

利益率10パーセント以上・・・挑戦してみて分かった多くの気付き

アメーバ経営の導入で会社が変わった!

物心両面で従業員に報いる・・・そんな会社にしたい

経営体験発表Ⅱ
藤田牧雄さん

政治家志願をやめ 仕方なく継いだ酒屋

商売人の心得を教えられ 必死に働く

人を育てれば 会社は成長できる

塾長との出会いで 自分の考え方に自信を持つ

多くに”師”に学べた 幸せな経営者人生

脱"酒屋”で 新業態の開発をめざす

経営体験発表Ⅲ
山邉 裕佐さん

一年で消えた板前の夢

念願の不動産業に就職も 配属先は建設現場

現場で汗を流して学んだ”信頼”とは何か

待望の営業部へ転勤 意気揚々のはずが・・・

「やるしかなかった」という創業

稲盛塾長の著書に 目からうろこ・・・の思い

ただひたすら教えを守り 上場できる会社をめざす

私の好きな言葉
讓りに如くは莫し
谷沢永一さん

うーむ
なんとも難しそうな言葉です。
讓るに勝る行いはこの世にはない
だろうか・・・

おーーーすごい
真理でした。
ありがとうございました。

【近況】
昨晩、何回か近況にも書いてきた「多喜さん」のラストの営業日でした。
万感の想いで多喜さんでの最後の夜を過ごさせてもらいました。
前にも書きましたが、24歳で宮崎に帰り、日本酒が好きで好きで日本酒を呑みたいと日々思っていましたが、なかなか当時の宮崎にはそれにうってつけの飲食店を見つけることができずに鬱々とした日々を送っていました。そんな中、その想いを知ってか知らずか、大西さんという先輩から「おおやん、日本酒のお店を教えてやろうと思うが、そのお店は俺(大西さん)の隠れ家だから誰にも教えないと約束できるなら教えてやる」と言われました。0.3秒で「はい!誰にも教えません!」と返事をして、初めて多喜さんへ連れていってもらいました。25歳の時でした。
それから30年、毎日毎日「多喜さんに行きたいなー」と想い続け、行けるときには行ってお酒を呑ませてもらいました。
日本酒を造ると二十歳のときに決めていましたが、時々は日本酒の夢が本当に達成できるかを悩むときもあったようにも思いますが、多喜さんに行けば100%日本酒好きの方が来られていますし、多喜のお母さんが日本酒愛そのものの人なので、多喜さんでいつも日本酒への夢をつなぐことができました。
お陰で、41歳でどぶろくを47歳でリキュールを、48歳で日本酒「しこたま」を世に送り出すことができました。※清酒は免許が無いので千徳酒造さんに造っていただいています。有り難い限りです。
いつかはこの日が来ることはもちろん分かっていましたので、悔いの残らないようにとここ10年くらいは行きたいと思って行けるときは行くというルールを自分でつくり、よく寄らせてもらっていましたし、この最後の2週間も行ける日は毎日行かせてもらいましたので、悔いや後悔はゼロです。清々しい気分で今日をむかえることができました。
これからニシタチに行くことはかなり減るでしょう。
そろそろそんな時期かとも思います。
今のささやかな夢は、多喜さんから譲り受けた備品(椅子や机や調度品)を有効活用させてもらって「ミニ多喜」をDIYでつくることです。
同じくらいの広さで同じような間取りでそこにいれば若干は多喜気分が味わえる空間ができればいいなぁと思っています。
しかし、思い出ばかりでも少し寂しい気がしますので、多喜のお母さんや常連さんとも年に1回でも2回でも、その「ミニ多喜」で楽しくお酒が呑めれば最高の幸せです。
多喜さん、多喜で酒を酌み交わしたみなさん
本当にありがとうございました。                大山憲一郎


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