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近代国家と学校制度の誕生

近代国家と学校制度の誕生
日本の学校制度の発足は1872年であり、わずか150年程度の歴史しかない。コンドルセは市民を特権階級の支配から解放しただけで格差がなくなるわけではない。不平等の縮小、市民社会を担う市民性(シティズンシップ)の涵養、そのためには教育が必要だと考えた。
 全近代において、学校教育は宗教機関によって運営されるのが普通だった。コンドルセは宗教と教育を切り離し世俗化し、教育は知育に限定されるべきだと説いたのだ。

イギリスにおける近代学校の発足
私たちのイメージする学校制度の起源は、イギリスに求められる。一斉授業の始まりは19世紀初頭に遡る。産業革命以降、ロンドンの一部にスラムが出現し、スラムの貧しい多くの子どもを効率良く取りまとめる必要が生じたのである。

国民国家の成立
学校制度は、近代国家の存在を前提とする。国民国家の成立には、産業革命に端を発し、イギリスでは名誉革命後の「権利の章典」発布(1689年)以降、王に対する議会の優越が認められ、議会制民主主義の基盤が確立した。さらにイギリスは多くの植民地を抱えており、貿易を通じて国内資本の蓄積が進んでいた。大陸ヨーロッパに比して、安定的な政治基盤を構築していたため技術革新も進んだ。また、18世紀末頃より、穀物増産のために高度集約農法が推進されることとなり、議会の後押しで解放耕地を統合、所有権を明確化する第二次エンクロージャー(囲い込み)が行われた。これにより締め出された農民の賃労働者化が、産業革命を後押しした。一方、アメリカ独立革命やフランス革命は、共通言語や習慣を持つ民族を国民と位置づけ、国民主体の国家(国民国家)を築く機運を高めた。この動きは、ナショナリズムや基本的人権思想を発展させ、ナポレオン遠征を通じて、これらの思想がヨーロッパ各地に伝えられた。その結果、民族主義が喚起され、国民を主体とする国民国家が生まれることとなった。
 学校教育制度も、ナショナリズムや基本的人権などの思想とともに伝わったものの一つである。その学校を通じて、国民国家を構成するのにふさわしい市民像や価値観が定着してゆくこととなった。

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