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起業家における「ドメイン」をめぐる問いについて

前職での職業柄なのだろうか。
いま思えば、尊大にも人様のビジネスモデルや事業については言いたい放題いってきたのだろう。
「これは伸びる、これは伸びない」「これがダメなところは…」などと。

ただ、いざ自分が打席に立ってみると、「事業ドメインを選ぶ」ということは、なんとも答えづらい、深刻な問いであることがわかる。

仮に100個のビジネスアイデアが浮かんだとして、
一日一個のビジネスアイデアを浮かべられたとして、
その100個のなかから、どうやって最初の一歩を選べばいいのだろうか。
(キャッシュも仲間もたくさんあるなら別なのだろうが)

結論から言えば、これは「諦めに至るまでの旅路」なのではないかと思う。
「ああ、もう仕方ない、これでダメなら諦めがつく」と最初の一歩を選ぶ。そんなプロセスなのではないだろうか。

たくさんの起業家、経営者と話をしていると、
「どうやってドメインを決めたのでしょうか?」という問いには、様々な回答があることが分かる。
どれも世間的には「成功している」と言われる起業家たちだ。

ーこれなら勝てると思えたから(考えて、調べた結果、そこに勝ち筋があるから)
ー投資家にこれがいいと言われたから(考えられないから、選んでもらった)
ーこれがやりたくて起業したから(成立するかどうかわからないが、ただこれがやりたかった)

なんだか、これだけで正解なんてない気にもなってくる。
そんな正解のない問いに対して、どのように向き合えばよいのだろうか。

勝ち筋があるというのは、本当なのだろうか

まっとうに考えようとするなら、色々と考えた結果、これなら勝てると判断し、そのドメインに決めた、というのが美しいのだろう。

しかしながら、さらに色々と調べてみると、
「勝ち筋がないので、さっさと参入するというのが勝ち筋」という戦略もあることが分かる。どういうことだろうか。

BCGが発表している「戦略パレット」とは、戦略を選ぶための戦略だ。

そのなかでは、「不確実性」「改変可能性」「過酷さ」という3軸に切られた象限に対応して、それぞれに取るべき戦略が述べられている。

いわゆる世間一般がイメージする経営戦略、ポジションや差別化といった戦い方は、「不確実性」が低く、「改変可能性」も低い「伝統型」のマーケットでは正しい戦略ということになる。

一方で、「不確実性」は低いが、「改変可能性」は高いような「先見型」のマーケットでは、「さっさと参入しろ」「市場は自分でつくれ」というのが戦略となる。

そうなってくると、明確な市場が既にあるわけではなく、そこには、いわゆる戦略としての”勝ち筋”を見出すことは難しい。
「自分はこうなると思う」ということしかないからだ。

つまりは、勝ち筋というものが、見えるか、見えないか、というのは、参入するドメイン(ドメインにふさわしい戦略)に依存するという訳だ。

じゃあ、問題となるドメインはどのように選べばいいのだろうか。

ファウンダーマーケットフィットからドメインは選べるか?

いわゆる、ファウンダーマーケットフィット(founder/market fit)という言葉がある。つまりは、創業者とマーケットの適合性がある場所を選びなさいということだ。

ドメイン・市場は、ファウンダーの過去の経験や、ケイパビリティから選びましょうという訳だ。
なるほど、じゃあやってみようと、手札を並べてみる。

スヌーピーも言っていたじゃないか。
「You play with the cards you're dealt … whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ….. それがどういう意味であれ。)

なるほど、自分の過去の経験はこれで棚卸しできるし、いくつかの不向きなドメインは消去・除外することができる。
これは自分がやる必然性も、動機もなさそうだな。自分のケイパビリティはあわないな、とか。

しかしながら、それでも一つには絞れない。
AとBとCというカードが配れたとしても、
「Aというカードで勝負する」
「AとBというカードで勝負する」
「AとBとCというカードで勝負する」



などと、そこにはいくつもの選択がまだ存在している。
しかも経験もスキルもあるが、それはやりたくない、といった、外部からみた必然性と、本人の動機がすれ違っているようなカードの組み合わせもあることも分かる。

さてさて、どうしたものだろうか。どうやって絞るというのだろうか。

そもそも起業するメリットとはなにか?

いきなり話はそもそも論に立ち戻る訳なのだが、どうして起業するのだろうか、起業するメリットとはなんだろうか。

これについて考えてみたり、話を聞いてみたりすると、
なんと、そこにはほぼメリットなんてないことが分かる。

下記のbtraxのブランドン・ヒルのコラムにもあるように、
・お金を儲けたい
・決定権が欲しい
・自由になりたい
といったものは、そもそも起業する動機づけとして間違っているという訳だ。

しかも、創業経営者の実に50%は精神疾患を患うことになるし、別の話によれば、創業経営者の7割は離婚するという(まあ僕は未婚ですが…)。

じゃあ、そうなるとなんで起業なんてするのさ?ってことになる。
起業家にとっての正しい動機づけとは、何なのだろうか。

突然に青臭いに話になるが、それは、
「世界を変えたいから」という結論になるのではないだろうか。

自分自身は上記のような多くの代償を払ったとしても、どのように世界を変えたいのか。そのために、なにを生み出したいのか。
そのつくたいもの、変えたいもの、に自分の人生を突っ込む、というのが正しい姿勢なのではないだろうか。

ロバート・フリッツの言葉を借りるなら、
「つくりたいものにフォーカスしろ」だ。

「つくりたいものから外れた瞬間に起業家は壊れる」
「変えたい世界観から外れたときに起業家はブレ始める」

とは、偉大なる起業家の先輩方からいただいた言葉だ。

「世界を変えたい」「つくりたいもの」についての問い

さて、そうなると自分はなにをつくりたいのか。
自分はなにを変えたいのか、というのが起業家の心身の健康のためにも大事なのではないか、ということになってくる。

となると、そのつくたいもの、変えたいもの、というのは、どのように考えていけばいいのか。
そこで思い出されるのが、宮野 公樹の『問いの立て方』にかかれている「本分」という言葉だ。

ちょっと長いが、「本分」とはなにか、ということを引用してみよう。

本分において、理念なき行動、もしくは行動なき理念となることはありえません。それを本分の定義としていいほどに、です。

これが我が生であるという覚悟とともにある確信には、小利口な戦略と気の利いた実践を区別して推進させるような段取りは一切不要です。
これは目標達成へのあらゆる努力を否定するものではなく、計画が悪いとか、やり方が悪いとか、あらゆる綿密な計画は立てたからあとは実践だという、考えと行動を分断して考える仕方を疑っているのです。

誤解を恐れずに言いますが、本分においては、その成功や達成は必ずしも必須ではありません。
いずれ死ぬ人間がなにかをやるということは、一秒後も今と変わらず世界が存在することと、自身の死後も世界が継続していることとを前提とせねばならず、存在まで疑った果ての行動においてはどこまでもそれをカッコにいれた仮置きとしているため、達成できなければできないで、そのようなものである、と認識するだけです。

さらに、宮野 公樹のWIREDでのインタビューを引用してみる。

だから、ぼくの学問は、生き様で示すだけです。その結果、響く人が現れて、仲間が増えればうれしい。響かなかったら、それまで。自分が信じることをやっているので、失敗したら納得しながら腹を切って死ねばいいだけ。そういうつもりです。

「本分」の立て方、考え方については『問いの立て方』に譲るとして、ここまでくると、最後に行き着くのは「諦め」なのではないだろうか。

「ああ、もう仕方ない、これでダメなら諦めがつく」
そうやって起業家はドメインへの問いに向き合い、一歩を踏み出すのではないだろうか。
きっとそれこそが起業家にとっての起業するメリット、幸せということになるのではないか。

こうなってくると、最後にはあのニーチェの言葉を引き出してみたくなる。
田坂広志『人生の成功とは何か?』には、こう引用されている。

人生の最期のとき、
不思議な人物が、我々の側に現れる。
そして、その人物は、
我々に対して、こう問いかける。

「いま、一つの人生を終えようとしている、おまえ。
もし、おまえが、この人生とまったく同じ人生を、
もう一度生きよと問われたならば、
然り、と答えることができるか。

いや、さらに、
もし、おまえが、この人生とまったく同じ人生を、
何度も、何度も、永遠に生きよと問われたならば、
然り、と答えることができるか。
その永劫に回帰する人生を、
喜んで受け入れることができるか」

その不思議な人物は、
我々に対して、そう問いかける。

「失敗したら納得しながら腹を切って死ねばいい」

そんな覚悟なんてない、何者でもない自分ですが、
せめて「然り」と言えるよう、そんな最後を迎えられるよう。
精一杯に自分の本分と向き合えたらと願うばかりです。

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