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夢を持ちなさいと言える大人

『夢を持ちなさい!』…子どもの頃には、とてもよく言われた言葉だ。
ところが、大人に近づくにつれ…『いつまで夢を見ているんだ!』と様相が変わってくる。

「いつまでも夢ばかり語っていないで、やるべきことを先にやりなさい」

そのように諭そうとする側は、「こんなことを言う私だって、いろんなことを犠牲にしていたり、我慢して生きている」という、その人なりの「正当性の主張」を押しつけているのが実態であることも多い。

「やりたいことは、やるべきことをやってからにしようとしている」ということに同調しないといけない圧力に抗い…

「それでは…あなたは自分のやりたいことをいつになったらやろうとするのか?」と返すと、より不機嫌になるか、そもそも自分がやりたいことが何かは不明慮だったりもする。

そして、身近な子が大人になるにつれ、「現実を見ろ!」と手のひらを変えしながら、第三者の若い人に出逢うと『夢を持つのは良い事』と作り笑顔で語り掛けるこのループ…もう、無茶苦茶じゃないか。

そうした光景が散見される中、ボクらはこう思うんだよね。

「夢」は、生きる目的の明確化と実践のための旗印になっても良い。
なぜなら、誰だって幸せになるために生まれてきたからだ。
「夢」は実現に近づくためにあるもので、そうでなければ「夢」は妄想に過ぎない。
「夢」は、日々の行動が意欲的になるためにある。

もちろん、「夢」に近づくために「働く」ということもする。
本来、仕事は、人から貰うものではない。
「夢」のある仕事、「夢」に向けた仕事というのは、自ら創り出すもの。

それをしていないなら、大人ぶって、先輩ヅラして、人前で「夢」について語るなんてことを…しなければいい。
子供達や若い子たちに「夢を持つと良いよね」と、説得力ある言葉が出せるのは、仕事を「本気で楽しむ」ことをしている大人だけだと思うよ。

「仕事を楽しむだなんて…そんなの現実ではありえない」と諦めている大人の大半が、日々「作業」になりがち。

一つ言えるのは、「何のために働くのか」「誰のために働くのか」の答えが同じになってしまわないことなんじゃないかな。

  • 何のためには働くのか?
    もちろん、自分達の生活のため・家族を養うための生活費を稼ぐためで構わない。

  • 誰のための働きなのか?
    自分の働きによって、どういう人のためのどんな幸せをもたらせることができているのか…。

この二つを混同させることなく、自分の働きの価値を理解実感している人は、自分の夢も、人が描く夢のことも否定していない。

もちろん、全く稼ぎもなく家族を路頭に迷わすのは、好ましい事ではない。

まずは「人の幸せが自分の喜びにかわる」ことに向けて、自分にできるナリワイを身につける…それを磨くと自分にしかできないことにもつながる。
それが一人ひとり大人の責務。

いつの間にか自分達の生活のためだけに仕事をしていないか?
それだと、もう「夢」は、自分から遠のくばかりだよね。

自分が幸せなら人も喜んでくれるなんていうのは、実は幼児の頃だけだ。
もしかしたら、大人になってからも描く「夢」には、誰かと一緒に同じ未来を見てみたいということが求められるのかもしれない。

「夢」は、「実現」させるためにある。

いろんなところで価値づくりに挑む事を、本気で楽しんでいる大人が増えなければ「夢を持ちなさい」という言葉に説得力が感じられなくなる。
次世代の子供達が、夢を持ちたくなるような大人が増えないといけない。

そもそも「夢」は、成功するためにあるものと勘違いする人が多くないか?

「夢」は、成長するためにあるもの。
だから、なかなか手が届かない。

簡単に手が届いて成功してしまったら夢が覚めてしまうじゃないか。
心はいつまでも冷ましておきたくないんだよね。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

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