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「未来のあたりまえを創る」…この言葉は、日本の最大手印刷会社でも、掲げ続けているスローガンでもある。

その一方で、「未来のあたりまえづくりの担い手は、個々の生活者だ」と、共感する事業者と共に価値づくりに勤しむボクらは、この重要性を、ずっと唱えてきている。

「衣・食・住」と表現すると、それぞれの関連産業は無数に存在しており、なおかつ、とても幅が広く、なんとか多くの消費者に支持されたいと必死に商品開発をしている。

一方で、一般生活者にしてみれば、日々の暮らしの中で、衣食住は、常に身近にある。
考えようによっては、衣食住の心豊かな環境設定は、企業側より生活者のほうが、独自性も安全性も損なわずに、とてもクリエイティブとなる要素・ヒントをたくさん持ち合わせていることもある。


受動的な価値創造では実現しない


価値づくりの担い手はプロダクト事業者ではなく、本質的には一般生活者ではないかというこの仮説を阻害する、一つの社会環境がある。

いつの間にか、今の世の中は、とても便利な社会になり過ぎた。
衣食住のアイテムは、お金さえあれば、ふんだんに手に入れることができるようになった。

その背景には、産業主導による効率化と利益最適化の追求の結果、広く多くに行き渡る「売れやすいもの」のシステムが構築され、今度はその環境を実現するために、多くの生活者が労働提供する構造が美徳とされていった。

そして、生活者もお金を得ることを喜ぶ。

…あれ?

気づけば、政治力や大手資本力など、見えないチカラによる「人為的に造られた常識」のレールの上に、生活者が乗っているだけになっていないか?

レールに乗せられていることは、本来の自分を見失うほど「楽しさ」を奪われることにも気づきながら、自分達で価値創造をすることよりも「楽」だから、乗り続けていることすらある。

進学もキャリアも、気づけば同調圧力には都合の良い「人材」となって、誰かに迎合しながら、お金を貰えるために働く構造に…。

そうすると、どうなったんだろう?


子供達は大人の背中を観ている

ボクが向き合う小中学生、高校生や大学生、専門学校生の全員が言うんだ。

「働いているあなたの親は、誰からお金を貰っているんだろう?」と聴くと「上司!」「社長!」「店長!」…中には「ATM」「造幣局」「国」なんて応える子もいる。
誰一人「価値を認めて下さったお客様」って応えない。

そして、子供達に「大人になって働くって、どういうイメージ?」と聞くと全員が「辛いことを我慢してお金を得る事」って応える。

この反応は、大袈裟な表現でもなんでもなく、数多くの場で登壇してきてる中で、子供達の大半の応えは、コレが現実なんだ。
親子参加された場では、後ろに座っていた小中学生の親御さん達が、下を向き始める光景もある。


誰のためにと何のためにの混同

大人が働くという事に対する子供達のイメージは、なぜ、こうなるのか…。各家庭の親が、そういう背中しか見せていない表れなんだよね…。

ここで、多くの大人が問われることがある。
「誰のために働くのか」と「何のために働くのか」のどちらを尋ねても、多くの大人達が、どちらも同じ答えが返ってくることだ。
これは、そもそも、働く目的どころか、自身の生きる目的すら間違えている象徴かもしれない。

どの大人も「誰のために働くのか?」は答えられる。
「もちろん、日々暮らしていくから、自分と家族のためだ」と。

ところが…「何のために働いているのか?」
つまり、あなたの働きは、「どこにいる誰にどういう幸せをもたらせることが目的なのか?」と問うと、大半の大人が明確に答えられない。

自分が配属されている職種や、自分達が扱っている商品はある程度説明ができるのに(それも我が子に理解できる説明ができるかどうかも危うい)…
自分達が働く会社は、自分達が創り出した商品やサービスによって、お客様の未来の暮らしにどのような幸せをもたらせているのかまで、ハッキリと説明できない大人が多過ぎる。

自分の伴侶が、一体誰を幸せにしている仕事なのかを我が子に説明できないどころか、そこに関心すらなく、伴侶の昇給や昇格のことばかり気にしていたりね…。

それは、自分達が「どれだけ生きることができるか?」しか考えていない証拠だったりする。どれだけ生きることができるかよりも、本来の自分を活かしてどう生き抜くかということを見失っていくことになる。

みんな、幸せになるために生まれてきたんだ。
美智子上皇后がお若い時に話しておられた「幸せな子よりも、幸せになれる子を育てたい」というそのお言葉どおりなんだよね。

そうだとしたら…実は、「意識を高くする」という精神論は必要はない。
イシキタカイ系の不自然な価値観の押し付けは、同調圧力と変わらず、結果としては生き苦しい空気になるからね。
意識を変えることより、構造を理解すると、人の行動は必ず変わる。


日々の生活態度に必ずヒントがある

「何のために」という目的と、価値づくりの構造を理解すると、人の行動は自然体となる。

その構造とは…目の前にある今日の過ごし方だ。
構造を理解していれば、今日ある素敵な事も見過ごさない。
「普通の人」の最大の強みは、日々の暮らしの中に、自分で小さな感動を見出すこと・創ることができることなんだよね。

「普通の人」なんやもん。
大きな感動を造ろうとすると…結構しんどい。

そして「感動の大きさ」を人と比べようとしたり、誇示しようとしてしまうから、人の感動への嫉妬や懐疑心も出てきてしまう

要は、特別なことをやろうとする必要はない。自分が感じるあたりまえのことを丁寧にやる意識…それが特別であれば良いだけのこと。
そうすると衣食住のいろんなことで、気づきが生まれる。必ず生まれる。


社会に合せず自分に合わせる

日々の暮らしの中で、気づきが生まれると、「あれ?なぜ人為的に造られたモノに、自分達家族が合わせているんだろう?」「衣食住のあり方や、日々の暮らしの環境を、なぜ自分達家族に合わせたものを、自分達で整えていないんだろう?」という問題提議にもつながる。

そうした問題提議から、冷静に過去の自分を振り返ってみると、人と比べて、人に見られて恥ずかしくない体裁ばかりで揃えてきていないだろうか?

胸を揺るがすインパクトよりも、コンパクトに日々の気づきを胸に刻む。
自分達にとっての「良質とは何か」も、コンパクトに感じ取ってみると良いんだ。
たとえば…

食卓の一輪挿しに切り花を添えてみようか…
季節の移ろいを感じるためにたまにはゆっくり空を見上げながら歩いてみようか…
その服って本当に自分に合った着心地の良さなんだろうか?
あれ?よく考えた高級ソファを買ったものの、結果的にはソファには座らず、よく地べたに座ってテレビを視ているよな…
今日の料理って、どういう素材でどういう調理が体に馴染むんだろう?

良質は、日々の暮らしに宿るものなんだよね。
小さな感動は、毎日、目の前を通っている。


目的と手段を履き違えないこと

どうすればイイのかという「やり方」は、後で考えればいい。
自分達はどうありたいのか…まずは、「あり方」…そこに未来への軸が定まってくると、嘘のない自分達の生き方を楽しめるんだよね。

そして不思議と、自分の身の回りには、日々を心豊かに過ごす人達が揃ってくる。
そうした人達とは、自分だけではなく多くの人に自分達が考える「未来のあたりまえ」として、価値を産み出して、それを提供するようになる。

そうした「自分を活かして生きる」というホンモノの生活者が集まることによるホンモノの価値づくりは、大きな感動での一過性のブームとはならず、良質なお客様に細く長く支持される。
なぜなら、その「未来への歩み方」がブレなくなるために、個々の中に宿る「想い」が価値創造力の源になるからだ。


想いは価値づくりの土台となる

その「想い」とは、企業会計でいうとカタチの無い資産。
つまりは、「自分を活かして生きる者」の個々に宿る「無形資産」だ。

しかも、「想い」は、ビジネスモデルとは違って、誰にも真似できない。
自分達だけのオンリーワンの無形資産。

その揺るぎないホンモノの無形資産が自分の働き、子育て、職場での働きのどの場面でも、とても大切な価値づくりの土台となっている。
この構造理解が、常に「これは何のために」と常に原点回帰できる人として未来への歩み方を間違えなくなる。

ボクのところには、これを図解で説く講演依頼が後を絶たなくなってきた。十数年前には考えられなかったことだ。

あたりまえのことが、とても大切なんだけど、今はあたりまえのことがとても難しくなっているから、あたりまえのことが価値になる時代なんだろう。

そろそろ本気で楽しく働いてみよう。
そろそろ本気で楽しく生きてみよう。
そろそろ嘘のない自分で歩みますか。

ボクも、会計の図解を用いた「家庭でも、街でも、企業でも、無形資産があらゆる価値づくりの土台となる」という構造については、人前で講じるだけではなく、図解とテキストで近日アウトプットしようと思う。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

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