「style」全曲解説 M3. 徒花
note読んでる人なら「徒花」は知ってるっしょ。説明しなくていいよね。
なんて驕り高ぶったことを言うつもりはありません。
僕にとって「徒花」という楽曲はとても重要なものです。
義務的につくった音楽を受け入れてもらえた初めての経験になったからです。
・・・
今は昔「うたスト」といふnote企画ありけり
「うたスト」とは「うたからストーリー」の略で、要するに曲をモチーフにしてオリジナル掌編を書いてもらったら楽しいんじゃね?といふ企画だったのでありけり
どうせならその曲オリジナルのほうがよくねとなりけり
ジユンペイはその楽曲提供担当になりけり
そこで出来たのが「徒花」なのでありけり
「徒花」は、その後のバトンを受け継ぐ人が物語を描くことになるという背景を僕が気にしたことから、5W1Hを明確にせずふわっとフィニッシュさせたという経緯があります。
歌詞であまりにも世界観を限定しすぎてしまうと後続の小説がそれに引っ張られるから、書き手の持つ本来の可能性を潰してしまうのを嫌がったためです。
なので「徒花」の歌詞では主人公の性別も年齢も国籍も特定していないので、どこのだれのどういう物語なのかまったくピンとこない設定になっています。
結果的にそこのこだわりは「うたスト」ではもちろんのこと企画終了後も大きな反響を呼ぶこととなり、うたってみた動画を作ってくださる人も現れるなど、結構な話題になりました。
でも僕としては、そんなピンボケした物語を音楽で表現することにはそもそもあまり興味がなかったので、「徒花」はそんなに売れると思ってなかったんです。
企画に対して不誠実な態度で制作したというわけではありません。作るのはきちんと丁寧に作ったのですが、あくまでも企画用の道具として便利に使ってもらえたらいいかなというスタンスで制作しました。
だからこそ、企画と関係ないところで「徒花」を褒めてくださる方がいらっしゃったことに驚きました。
自分の認識と実際に起きている現象とのギャップを目の当たりにして多くのことを学ばせていただくきっかけになった、忘れられない楽曲です。
2022年の初出音源は宅録ライン録りなのですが、今回はスタレコで生録りしました。質感の違いを聴き比べていただくのも面白いと思います。
先輩ボーカリストの言葉に「感情は曲の中にあるから歌い手はただ譜面に書いてある通りに歌えばいい」というのがあります。
自分の曲なのにおかしなこと言うなと思うかもしれませんが、今回「徒花」を再録して、その先輩の言ってる意味が肚落ちしたところがあります。
そもそも僕はボーカリストではなく歌声に感情をこめるだのということはヘタクソなので敢えて挑戦することもないのですが、そうやって淡々と再録した「徒花」の雰囲気を改めて見つめ直すと、ただ歌っているだけで曲の情報が歌声に反映されている様子を感じられる。
歌詞に余分な情報を入れていないから、歌も淡々としているほうが映えるのかもしれません。
そんな曲に仕上がっているということは、「徒花」という楽曲において僕が作家としての力量を発揮できてるということになります。
そりゃ評価が高いのもうなずけますね、うんうん。
ギターに関しては、記録が残っていなくて記憶を頼りに語ることになるので曖昧な情報ですが、おそらくレスポールをメインで弾いていると思います。
というのも、バッキングをテレキャスで一度録ったら仕上がりがスカスカになって焦った記憶があるので。
テレキャスターというギターは、ぎゃんぎゃん噛みつくような高域が魅力的な楽器だと思っていますが、バンドはアンサンブルであり総合芸術です。それは宅録でもDTMでも同じこと。
テレキャスだけが元気良くても他と温度差があると浮くんですよね。
「徒花」のトラックはシンセや歪んだベースなどドンシャリなサウンド感に寄っているので、ギターもそれに合わせたほうがしっくりくるんです。テレキャスはHi-Midに特徴のある帯域を持っているのでそこが噛み合わなかったんですね。
ということでレスポールで録り直した記憶がある。その録り直しが結構大変だった記憶もある。だから記録に残していないのかもしれないです。
僕はこう見えて割と単純というかわかりやすい性格をしています。
サビとブリッジで聴けるワウを使ったフレーズはテレキャスです。
これは創作をする人にとって永遠のテーマだと思いますが、表現する内容はどの程度まで具体的であるべきなのでしょうか。
僕自身は、表現には余白がある方がお客さんが感情移入しやすいと思っていて、限定的な言葉を避けて歌詞を書く傾向にあるようです。
その一方で、あまりにも余白だらけだとそれは白紙も同じことです。
たとえば「徒花」の頭サビは、仮歌詞の段階では次のようなものでした。
字脚で書いた仮歌詞なのでスカスカでも仕方ないのですが、それにしても具体性に欠け過ぎていて、さすがにピンとこない感じがします。
この歌詞にお客さんが感情移入できる余地があるとしたら、
「竦む足」
「行くも行かぬも」
「運命」
あたりでしょうが、大げさな割にありふれた言葉なのでゆるいんですよね。
本歌詞ではその「ゆるさ」をもうワンステップ引き締めたいと思ったので、何らかの特定の場面を想起させるようなアイテムを忍ばせるというセコい真似をはたらきました。
そのアイテムとは
「香り」
「グラス」
「喘ぎ」
「都会」
などです。
そういったある種”吸い口”のような役割を担うワードが曲のベクトルをなんとなく決めているけど、歌詞の内容自体は相変わらずゆるめだから正確な方向性は聴く人にゆだねられていて、人によって曲の持ちうる意味が変わる。
今振り返って考察すると、「徒花」という曲の魅力はそのあたりにあるのかもしれません。
じゃあ、同じことを別な曲でも量産しまくればめちゃくちゃ売れるのか?っていうと、そういう話でもないんですね。
多分、おいしいピザを1億枚つくることよりも、ささやかでも思い出に残る食卓を毎日だれかに提案し続けることのほうが、重要なんだと思います。
売上の規模で言えば前者の方が大きいでしょうが、なんというか、人間が社会で生きていくにおいて価値を見出すべきなのは後者なんじゃないかなって僕は思うんです。
音楽で言えば、そりゃ売れるでしょうよっていう構造の曲を量産することに音楽家は救われなくて、もっとオーガニックで身近にある、音楽に関われる根本的なたのしさとか嬉しみのようなものにこそ、グッとフォーカスすべきなんだと思います。
それで言うと「徒花」は、いろんな意味でアダルトな香りを漂わせている曲なんだと思います。
というわけで、僕は「徒花」が大嫌いだし、それと同じくらい大好きでもある。
っていうクサいコメントでこちらの記事は終わります。
「徒花」はアルバムの3曲目。下記リンクから試聴できるのでチェックしてください!
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