「style」全曲解説 M10. 空電
2022年の夏にライン録りで一度制作し、YouTubeにアップしていた曲です。
アルバムの1曲目に収録した「Starting Over」同様に冬目景先生の「空電の姫君」から着想を得た楽曲で、シンプルで力強いサウンドをイメージして制作しました。
インストを書く時にまずテーマから作曲する、ということをM8の「Rain」で書きました。
「空電」はその例に実は当てはまっていなくて、なんとギターソロから作ったという変わった経緯で生まれた曲です。
冒頭にも書いたように、そもそもの出発点は「空電の姫君」に着想を得たことでした。
そのためサウンド感も作品に寄せたものにしたいと考えていたのですが、主人公のギタリストがクラシックロック好きの女子高生というキャラクターなので、曲もスタジアムライブで映えるようなスケールのでかいソロが欲しいなと。
主人公の愛用ギターがレスポールだったので曲もレスポールで録ることにして、レスポールをスタジアムライブで弾くことをイメージしてソロを作りました。
そのためイントロやその他すべてのパートはギターソロを盛り立てるために用意されているようなもので、ギタリスト的には非常に贅沢な曲に仕上がっています。
ALTAGO(主人公のバンド)がトリオ編成なので本当は曲もベース・ギター・ドラムのトリオにしたかったですが、それだとあまりにもスカスカになってしまうので、ギターをダビングしたりシンセも重ねて分厚いサウンドにするなど工夫しています。
録音音楽の良さはフィクション性にあると思います。
フィクション性というのは、現実では起こり得ないものを生み出せるという意味です。
たとえば「空電」という曲を僕が一人で生演奏することはできません。
やるなら、ドラマーとベーシストとキーボーディストともう一人ギタリストを呼んできてお願いしてバンドを組まないと再現できません。
もし本当に一人でやるならカラオケを流してそれに合わせてギターを弾くことになりますが、それだってPAさんにお願いしないとできないし、音響機器だって揃えてもらわないと出来ません。
当たり前のようにライブハウスを借りて演奏したりしますが、本来、ライブハウスで演奏するというのはそういうものなのです。「させてもらう」ことなのです。
若干、話がそれましたが、ともあれ、「空電」という曲を一人でギターいっぽんだけ担いで再現することは出来ない、ということはわかって頂けたかと思います。
録音音楽は、それを可能にするという点でフィクション性を帯びており、そのことが録音音楽の魅力の一つであるというのが僕の考えです。
その一方で、僕はこんな考え方も同時に持ち合わせています。
再現性のないものを創ることに何か意味のようなものはあるのか?...と。
バンドの音は、基本的にメンバーの人数と一致します。
トリオなら3パートだし、4人なら4パート。
4人のバンドなのに音数が7つも8つもあるのはどうなんだと。
確かに音源は華やかになるけど、その華やかさはライブ演奏で失われるものなのだとしたら、結果的に失われる装飾にこだわる意味ってあるのか?と。
イルミネーションで自宅の外壁を彩っても住人である自分たちはそれを見ることが出来ない、みたいなことに似ています。
こういう考え方は僕に特有なものでも何でもなくて、バンドやってる人なら多かれ少なかれ悩むことだと思います。
結局どこに価値を見出しているかの違いなので、作品作りに重きを置く人は装飾にこだわるだろうし、ライブでの演奏にこだわる人は不要な音はなるべく削除しようとする傾向にある。
どちらがいいとか悪いとかではないです。
「空電」は、そういった意味ではバンドマン的発想と作家的発想のごった煮みたいな曲です。
ギターソロから描き始めるのとかはすごくバンドバンドしてる雰囲気がある。ドラムのフレーズとかも先輩のドラマーに相談してより肉迫したものを目指したし、そこはリアルにやりたかった部分です。
その割には音数が足らなくてシンセで補強してたり、リスナーが気づくか気づかないかわからないような微妙なフレーズを混ぜて音のバランスをとったりしている。ここは作家的な要素があります。
ここまで1700字くらい書いてきましたがまとめると、プレイヤーでありコンポーザーでもある今の自分を過不足なく表している、要するに自分らしい曲だということです。
「空電」はアルバムの10曲目。下記リンクから試聴できるのでチェックしてください!
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