徒然草とともに 3章⑪

 67段は京都に今もある上賀茂神社の摂社、岩本社・橋本社の話だが、神仏信仰つきまぜて、文芸に打ち込んだいにしえの京都の才人たちの息遣いを知るエピソードでもあると考え、法師とともに、ちょっと後戻りして、この二社どちらかの祭神で六歌仙のひとり在原業平(825~880)と藤原実方について耳を傾けることにしようと思う。

 兼好の時代、この二社にまつわるふたりの歌人が、いつも混同して語られるので、なにごとも、真実をはっきりさせたいわが兼好法師、ある年、参詣したとき、たまたま通りかかった年老いた宮司を呼び止めて、これについて聞きただした。

 宮司は「実方は”御手洗川に姿を映したところに鎮座する”とありますからより川の近くの橋本社でしょうか、また慈円僧正が”月をめで花をながめしいにしえのやさしき人はここにありはら”とお詠みになったのは岩本社のことだと承っております」と社にまつわる古歌などもあげ「こういう話はあなたのほうが私どもよりよくご存じでございましょう」と恭しく答えて法師を満足させたようである。
そこで法師はさらに今出川院近衛という歌詠み人が、若いころ選集にも多く入選した人だが、いつも百首の歌を詠み、神水で清書して供えられたがその歌は人口に膾炙しているものも多い。作詩、作文、序なども見事に書いたひとだと書き加えている。

 時まさに動乱のさなか、1333年に隠岐に配流されていた後醍醐帝脱出、5月、足利尊氏六波羅探題を滅ぼし、鎌倉幕府滅亡。法師は都の片隅の寓居で、月を眺め、いにしえの歌人を想い、仏の慈悲に身心をあずけ、しづかに世の移りゆくさまを見つめていたのであろうか。 

 第69段は、天台宗の性空上人”法華読誦の功により六根清浄にかなえる”聖者として、969年に播磨の国、書写山(現在の姫路市)に、別格本山、円教寺を開いた偉大な上人だった人の話である。

 あるとき旅をされて、とある仮小舎に立ち寄られた、そこは豆殻を燃やして豆を煮ていた。その豆の煮えるつぶつぶ鳴る音を聴かれると「同じ仲間のお前たちが、恨めしくもわたしを煮て、辛い思いをさせるもんだな」と云っていた。いっぽうで燃やされている豆殻は、ぱちぱちと音立てて「私が心から嬉しくてやることじゃないよ。燃やされるのもどれほど辛抱できないかわからんが、仕方ないよ。そんなに恨みなさるな」と聴こえた。

 深い心あるものの耳には、ある事象が、共に響きあうことがあるのかもしれない。
 かつてペルシャの神秘主義詩人ジャラール・ウッデイーン・ルーミーも詠ったように”宇宙はひとつ、自然と共通するリズムを持ち、生命あるもの互いにひびきあう、のだろうか。
 

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