徒然草をひもといて 5章 ⑦143段 人の臨終の有様

  人の臨終の有様、といえば、命ある限り遅かれ早かれ、誰しもいずれ迎えることになる、今生との別れの場だが、ここでは、とくに生前、知名の人物だった人について、しばしば愚かな人によって、あやしく大仰な終焉の様相が語り継がれているが、それが果たして真相を語っているのかどうか、と疑問を呈している。というのも、法師によれば、そうした人々の臨終の姿のあるべき理想像は「静かにして乱れず」で、”怪しく、異なる相を語りつけ”、云った言葉も挙動も、"おのれの好きなように方向づけて誉めあげる”というようなことは、わきまえない人たちのしがちなことだが、これは故人の日頃の本意にもあらず、と思う、というのである。
 臨終、という大事なことは、いくら権威ある貴人でも自身で決められないことであり、博学の人でも推測などするべきではない。だから、自分の信念に背くことがなければ、人の見聞によるべきではない。というのである。
 確かに、歴史に知られた人物について ひとはよく、いろいろ、あやしく、摩訶不思議な、異相を語りついだりしがちである。法師によれば、人の終焉の姿の理想像は、それがすぐれたひとであればなおのこと「静かにして乱れず」だった、ということなのだと思う。
 非常に理性的な提言で、時代を超えて、心に留めておくべきであろう。


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