徒然草とともに 3章 ⑦

 日本の中世の、まるで世間話リポーターのようなところもある兼好法師の草紙。これまで各段順に簡単に紹介し、コメントなどつけてきたものの、時代の違いも大きく、諸先生がたの御労作による精密な注解を参考に拝借しながら,243段すべて書いてゆくのは、国文学の専門でもない身で、おこがましく、読んで理解していただくには退屈な話じゃないかと思いはじめ、今後は自分流に端折って書かせて頂くつもりです。宜しくお願いします。

 第60段は、また仁和寺の院家のすぐれた智者といわれた盛親僧都という学僧の奇癖、芋頭ばかり好んで大食いする話。「能書、学匠、弁舌人にすぐれて宗の法灯なれば、寺中にも重く用いられたりけれども、世をかろく思いたる曲者にて、よろず自由にして、大方、人に従ふといふことなし…」という調子で、好きな時に好きなだけ芋頭を食べ、ねぶたければ眠り「世の常ならぬさまなれど」・・「人に厭われず、よろづ、許されけり。徳のいたれるけるにや」という話。わたしにしてみれば、京都というところは、現代でも、そういう(ゆるし)の風潮があるなあ、という感想である。

 

 


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