徒然草とともに 3章 26

90段、大納言法印の召使いの乙姫丸、当時は先祖の位階による称号が子孫にそのままつく社会だったので、大納言法院な僧侶としては、高い身分で、召使、注によれば寵童をそばに置く事が出来たのだろう。そして、この乙姫丸、知り合ったやすら殿なる者のところにいつも行き来していて、その日も出かけて帰ってきた。
とこへいってきた?と法印に聞かれ、やすら殿のところへ“まかりて候”そこで、そのやすら殿は、男か法師か?と聞かれる、続く短い一節と、あとの描写に 兼好の筆が光る、問い詰められた乙姫丸、袖かきあわせて「いかがだったでしょうか、頭は見ませんでした」そこで兼好
“などか頭ばかりの見えざりけん”と結ぶのである。

92段、鎌倉幕府滅亡、そして次の政権は?…政状不安定の日々が続き、京の町人も、日々心安からぬ思いを抱えていたのではないか、猫また、だけではなく、あやしげな[赤舌口(しゃくぜつこう]などという物忌日がまことしやかに〃なにものの言い出でて忌み始めけるにか〃「この日にあることは、終わりを全うしない」などといい、その日言ったこと、したこと、は全て叶わず、得たものは失い、企てたものは成らず、と。兼好は“愚かなり”と切り捨てる。さらに吉日を選ぶのも同様、意味のないことに変わりない、どちらも、陰陽道には関係無し、と。一説によれば卜占を業とする一族の生まれと言われる兼好法師だが、生来博覧強記、仏教は言うに及ばず、儒教、中国古典、故事に通暁、こうした俗信を、愚かな迷信と切り捨てるのはもっともな事だった。続けてかれの哲学を披瀝する。“無常変易の境、ありと見るものも存ぜず 始めめあることも終わりなし…人の心不定なり 物皆幻化なり”と述べたて、結局·
“吉凶は、人によりて、日によらず”というきわめて現実的、近代的な結論なる。ただし、この物みな幻化なり、という言葉は、現代量子力学や、科学の世界でもいわれはじめている説に通じるものとして考えられないことはない。


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