徒然草をひもといて 4章(41)137段続2

 京には、古来から連綿と続く祭がある。祇園祭は、とくに豪華で、各町ごとに趣向をこらした見事な垂れ幕を垂らしただんじりを連ね、夏の盛りに、少年たちのお囃子の声と鐘の音で街を練り歩くのだが、五月には葵祭、10月には時代祭と、三大祭として、それぞれ平安時代から千年以上続いている祭で、兼好法師の時代には、もうあった、というのは驚きで、しかも当時のままの時代装束をつけた行列は、今でもなかなか見ごたえがある。
 そして前号につづき、法師の時代の一般人の月や花を見る作法も、❛さような人の祭見しさま、いとめづらかなりき❜という調子で、法師は苦々しげに語るのでさえ、現代でも事情は同じようなものかもしれないと思ったりするのである。
 とにかく“見せ場は、まだ遠くにいるから、桟敷にいる必要はない”と奥の間で酒を飲んだり、なにか食べたり、囲碁、双六などで遊んだり、桟敷には番人をおいて「お渡りですよ」と聞くや、肝をつぶさんばかりに先を争って走り出て、押し合いへし合い、簾が落ちんばかりに揉みあって、なに一つ見落とすまいと、血眼で、ああだ、こうだ、と言いあって、お渡りの一団が通り過ぎるや「次のお通りまで」と、言って戻っていく。だた行列だけ見ようとしているのだろう。みやこびとでも、心得あるひとは、居眠りしていたりして、さほど熱をいれてないし、若い末席の人は給仕などで忙しいし、主人のうしろに控えている者は、格好わるくのしかかったりもせず、無理に見ようともしない……。
 しかし、こんな風に皮肉をこめて描いている兼好法師自身、祭の日に、どんな顔をして、どこでどうしていたのやら、時代を超えて想像するのも面白い。まさか、しかめっ面ばかりしていたわけでもあるまい。面白いもの、美しいものは何時の時代でも面白く、ひとを楽しませてくれる。ただ、多少の作法は忘れてはやらないけれども。


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