徒然草をひもといて 4章 (42)137段続々3

 この草紙で、いちばん長いのが、実は祭の記述だったとは意外だった。しかし考えてみると、あらゆる階層のひとびとが共にに自由に楽しむのは、古今東西、唯一祭ではないだろうか、老若男女子供たちもより集い、同じ時代に生きる喜びに浸り、悲しみも恨みも忘れ、法師がいう“思いかけぬは死期なり。今日まで逃れきにけるは、ありがたき不思議なり”などは思いのほかで、このひととき、世をのどかに楽しんでいた、と思う。
法師自身も、あれこれ愉しんでいたらしいことを思えば、
頷けないことはない。
 五月の賀茂祭、別名葵祭は、今でも京都で、華やかに繰り広げられ、先ごろ、テレビでも放映されていた。
 “牛飼い·下部などの見知れるもあり、をかしくもきらきらしくもさまざまに行き交う”というくだりでは、わたしも、実は学生のころ、行列を見ていたら、はからずもクラスメートのひとりが、下部になって行列に加わり、白い上着に烏帽子をかぶり、長い棒の先に黒いものを巻き付けたのを担いでやってきて、おやおや、と見ていたら、風でも吹いたのか、烏帽子が飛んで転がりおち、あわてて拾いあげて被り直して、また行列についていったのが、おかしかったのを思い出した。アルバイトでやったのだろうが、いつの時代も変わらぬ風俗、“見るもつれづれならす”と懐かしい。
 そして、日が暮れるころには、立ち並んでいた車も、所狭しと詰めていた見物人たちも“いずかたへか行きつらん”簾や畳なども取り払われ、目のあたり寂しくなるのこそ、世の習いも思い知られ、しみじみ感慨深い思いだが、都大路をみたるこそ、祭をみたことにはなる、と法師も言うのである。
 つまり、法師といえども、都びと、ひとしきり賀茂祭の余韻を愉しむが、やがてまた、かねての本題へと話題を移していく。次回はそれを読んてみようと思う。



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