日記:9月19日

 台風14号は、きのうの午後3時には、温帯低気圧に変わり、大きな被害は免れたが、今朝も関東一帯に、大雨注意報や、雷注意報が出ているが、東京の空は、まだ薄い雲に覆われているものの、雨は上がり、西の方の空には白雲もむっくり浮かんでいる、東の空は雲のあわいに、美しい青空も見えている。鳥たちが、あちらこちらで断続的に鳴きかわし、ときどきカーカ―とカラスも啼く。

 気温は20度ほどで、部屋のなかにいても、秋の気配がひしひしと感じられる。土曜日で、家うちはまだ静かだ。夜遅くまで洗濯などをしていた娘や、孫はまだ眠っているらしい。バッハのピアノ協奏曲をかけて聴きながらこれを書きはじめた。1番二長調アレグロは激しい調子で始まるが、2番アダージョは語りかけるように、やがて3番アレグロの楽しい響きに変わる、グレン・グールドの繊細な指は、これらの音の混じりけのない美しさを、そっくりそのまま伝えてくれる。4番イ長調と5番ヘ短調、7番ト短調は私の子守歌で、毎晩それを聴きながら眠りについている。

 だが昨夜は、息子が誕生祝と一緒に送ってきた論文を読んでいるうちに、眠ってしまった。論文の題目は「経済格差とフェイスから見た自殺」というもので、人間が自殺する動機は、あながち貧困や、経済的破綻、過労からのストレス、離婚、孤独、鬱病などが引き起こす不幸感からばかりとはいえず                                                                                                                                                                                     真の原因は、実はもっと深いところに、生きづらさの要因が存在するのではないか、という、かねてからの持論を展開したものらしい、らしいというのは途中で眠ってしまったからで、服を着たまま朝になった。

 そこで、今日は、じっくり読み直そうと取り組んでいるが、学者の論文は慣れていないから読みづらく、ちゃんとわかっているかどうかは、わからない。おまけにまた眠くなってくる。

 とりあえず、わたしが、なんとか分かったことを言うと、自殺の衝動の根っこに潜む感覚は、これまで言われてきた単純な不幸感ばかりでなく、切り詰めて云えば、おのおのが所属する社会環境での暗黙の規範からはみ出している、離反している、あるいはそうそう思われている、と感じた際のフェイス、いいかえれば日本語の「体面」というよりもっと微妙な感覚、私の勝手な解釈かもしれないが、自己肯定感の喪失というような絶望感が働いているケースが見逃されているのではないか、と考察している新しい社会学による観点があり、今後これにに注目する必要があるのではないか、という指摘なのだと思った。以上間違っていたら叱られそうだが、我流の解釈をしてみた。そして現実に身近な2,3のケースなど思い出し、冥福を祈った。 

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