徒然草とともに 3章 ➄ 57段、58段、59段

 57段は、上出来とも思われない和歌を添えた歌物語などを、もちだして論じられてもうんざりする、という説で、素人には、わかりにくいにしても、法師自身は”本意なけれ”と迷惑している話で、すべて、よく通じてもいないことがらについて、物語るのは「かたはらいたく、聞きにくし」と。虫の居どころでも悪かったのかな、と考えてしまう厳しい論議で、当時の都の歌人たちのあいだでは、歌道というものに、ある意味かなり厳密な姿勢が求められていたのであろうと思うような話である。

 58段・59段は、仏門に入りたいと願う意思を持つ者への戒めではじまる。
 因みに兼好法師が世ほを捨てたときの歌2首、家集にあるのが巻末に掲載されているので、それも写しておく。

  ”世をそむかんと思い立ちしころ、秋の夕暮に”
「そむきては いかなるかたにながめまし 秋のゆうべも憂き世にぞうき」
  “本意にもあらで年月経ぬることを”
「うきながら あればすぎゆく世中を 経がたきものとなに思ひけむ」
 すぐれた歌とはいえないにしても、法師自身はこういう気持ちで出家した、というのはなんとなくわかる。

 ただ古人の出家のかたちにくらべたら、法師の時代ではすでに甘いかもしれないが、それでも権勢ある人の貪欲に比べたら、鉢一杯の食事や、野草の吸い物がどれほど人の費えになろうか。そういうものは容易に手に入るし、悪から離れて善に近づく機会も増えるのだからいいではないか、人と生まれたからには何とかして世をのがれるのが望ましく、物欲にまみれ、正しい悟りの道に向かおうとしないのは、よろずの畜生に変わらないじゃないか・・・と云わばかなりの極論ではあるけれども、乱世の世にあった人ならではの論議として受けとめられる。
 続く59段も同じ出家遁世の勧めであって、「命はひとを待つものかは、無常の来たることは、水火の攻むるよりも速やかに、逃れがたきものを・・」と捨てがたき絆でさえ捨てねばならぬ時が来る」と諄々と説く。

 つくづく考えてみれば、遠い話ではなくて、事情は違うけれども、今現在、毎日のように、コロナの脅威にさらされつつ、地球の反対側では、テレビの画面に映し出されるロシヤとウクライナの瓦礫にまみれいつ終わるとも知れない戦火に怯える人びとの群れ。トルコの大地震の惨禍のもとで、家族を失い、すべてを失い、呆然とたたずむ人々の姿、何世紀たっても人の世は無常であることに変わりなく、感慨無量の思いでもある。
 


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