徒然草とともに 4章 ⑽ 107段、女の物言いかけたる返事

 女が、ものを尋ねたりしたとき、さっと、ほどのよい言葉を返してくる男はいい男だとして、亀山院、第90代の天皇(1259年(10歳)から75年まで在位)の時代、都の女官たちのなかの、痴れたる、つまり軽薄と訳文にはあるが、もう少し厳しくいうと、生意気でアホな女房(女官)たちが、退屈まぎれに、参内してくる若い公卿たちに、ためしに「ホトトギスは鳴きましたか」と聞いてみて、答えの良し悪しを品定めして楽しんでいた。と云う話で始まる。そして、問いに答えて、ある大納言は“数ならぬ身”でありますから、聴くことできませんでした。と答えた。また、堀川内大臣(註解によれば、兼好が遁世後の上司)は、「はて、岩倉で聞きましたかしら」と、さらっと答えた。岩倉は洛北で、堀川家の山荘があったところだった、女官たちは、こちらは問題ないわ、とパスさせたが、大納言の“数ならぬ身”なんていうのは、わざとらしくて、嫌味ったらしく、どんくさいと、評価した、という。
 だから、と法師はいう。
すべて男は、女に笑われないよう育てるべきだ、と。そして理想的な例としてあげられているのは、当時著名な人物、たとえば、前関白殿大伯母の皇后、躾けられたから、お言葉つかいが良い、とかと云う程度のことなのだが、良き敎育のお手本とされる。さらに、山階左大臣という人は、身なりにしても、「いやしい下女などに見られても恥ずかしくて気を遣う」と言われたとか。たしかに、女のいない世なら、衣文も冠もなんであろうと、ひきつくろう人はあるまい、というのが、この段のいちおうの結論なのだが、そこで、と、法師は持ち前の本論に入る。
 つまり「これほど人に恥じられる女とはどれほど立派なものかと思うと、女の性質はみんなひがんでいる」ときめつけることで、やおら書き出すのである。しかも、その舌先の鋭さは、とても並みではない。まず、女というもの、
 我執が強く、貪欲甚だしく、物の道理を知らず、
迷いのほうに心も速く移り、
言葉たくみに、言っても差し支えないことでも、尋ねたら言わない…だから、用心しているのかと思うと、あさましいことまで、訊いてもいないのに喋りだす。訳語を借りて書き写すと、深謀遠慮でもってうわべを取り繕い、男の知恵ににもまさっているかと
思えば、言ったあとから、ばれていくのも気がつかない。
 結論を述べると、
素直でなくて愚劣なのが女であるから、そんな女の心のままになって、よく思われんとするのは情けない。だからどうして、女が恥ずかしいことあるものか、もし、かりに、賢い女というのがいたとしても、それもうっとうしく、すさまじいことだろう。
 ただ、迷いを、あるじとして、女に従っているとき、優しくも、面白くも、感じるべきことなのだ。というのが、人生を知り尽くした法師の結論である。
 女のがわからいっても、ま、当たらずといえども遠からず、というのが感慨であろうか。


  といった調子で、これでもか、これでもか、と書き連ねる。
 









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