徒然草とともに 2章 ㉝

 兼好法師、さいしょから、ひとり居の退屈しのぎ、硯にむかい心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつける、とことわってはじめた徒然の記。
 だから、というわけであろうか、書いた日にちもいつのことやら、遠い昔も、いましがたのこともこきまぜて、実体験めいたことも、おちこちで見聞したことも、噂話などもあれこれ、ときには創作かも、と思わせる話まで、心にうかぶ心象風景を、抑制のきいた流麗な筆使いで書きしるして楽しんでいる。さすが「ありたきことは文(ふみ)の道」といっているだけのことはある、と思われるけれども ・・・。

 41段の上賀茂神社の競べ馬のくだりで、咄嗟の思い付きに、素直に応じたいにしえ人の率直さは楽しいが、続いて42段は、行雅僧都なる人、仏教宗派で理論的に人を導く立場の人だったのに、思いもかけずおどろおどろしい顔面変貌の奇病にとりつかれた、という話になる「人にも見えず籠りいて年久しくありてなおわずらはしくなりて死ににけり かかる病もあることにこそありけれ」と結ばれて終わる。

 各段くさぐいさのいわゆる「はなし」は実に多岐にわたり、哀れなもの、はなやいだもの、悲しいもの、おどろおどろしいもの、美しいもの、それぞれ。なかで、ときどきはさまれる都人の暮らしぶりのひそやかな優雅さ、法師のセンスの良さの光る場面は読んで楽しい。たどたどしい歩みながら続けてみよう

 

 

 


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