徒然草とともに 4章 ⑦

 夜更けの思いがけない客人のおとづれに、あたふたしたものの、女あるじのてきぱきしたさしずで、すべて片付いて、下女たちも、ほっとしたようす、今夜はゆっくり寝られるわ、とひそひそ囁やきあうのも、手狭なたたずまいなので、かすかにきこえてくる。
 前号で、わたしは、女あるじの暮らしを、〈落ちぶれて〉などと書いてしまったが、現代風に考えると多少意味合いが、ずれてしまう懸念があることを、失念した粗雑な言葉遣いだったことをお詫びして訂正させていただく。つまり、なにか込みいったいきさつで、身を隠し、密かに隠れ家に、身を謹んでいなければならないことは、人間関係や、権力の絡み合いに巻き込まれたり、ということなどで当時あった、というていどのご理解でいてあただきたいと思うのでお願いします。
(話をもどさせていただく)。
 さて、久々に再会を果たした客人は、さいきんのことなどもこまやかにお話しなるうちに、もう、1番鶏の鳴く声、来し方行く末にかけてねんごろに話し合われるうちに、他の鶏たちもにぎやかに鳴きはじめたのを聞かれて、はや夜明けか、とお思いになられたが、まだ夜は深く、人目を気にして、急いでかえらねばならない場所でもないと、ぐずぐずしておられるうちに、閨の隙間に射す光も明るくなってきたので、今後もあなたのことは忘れない、といって立ち去られた。その朝は、梢の若葉も庭の草花も、眩しいばかりに青みわたった四月の曙、夢まぼろしのような思い出に、この貴人は、今も、そこを通られるたびに、桂の大木が、隠れるまで、お見送りなさる、とか。
 
 このさいごのくだりには、えもいわれぬ余情が籠められている。そして、さきの32段の男女の別れのシーンの描写にも通じることが、注解でも示唆されている。


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