徒然草をひもといて 5章⑨150段 能をつかんとする人
145段から149段は、観相の術と生の本質、灸治の話、ウイルスともいえる害毒菌の話、すべて見方によれば、近代科学に当てはめることもできる合理的な話で、そのまま読んでコメントするまでもないので、150段に進む。
まず、能力を生かし、世に役立つ技能を身につけようとする人、特に若者への訓戒で「充分できるようになるまでは、なまじっか人に知られまい。内々しっかり習熟してから、人前に出ていけば、きっとゆかしく持て囃こんなされるだろう」と常に言うけれども、このように云う人は一芸も習熟したためしがない、というきびしいいましめではじまる。
そして、いまだに未熟なあいだに、腕のたつ人に混じって,そしられたり、笑われたりしても恥じないで、平気でやり過ごして頑張る人、天性その素質なくとも、その道に停滞せず、うまずたゆまず、励んで年を送れば、才能がありながら、励まない者よりは、ついには名人の位に至り、徳もたけて、人にも認められ、並ぶもののない名声をうることになる、と。
天下のものの上手といえども、初めは下手で見ていられないとの評判を得たりして、ひどい欠点もあった。それでもそのひと、道の掟を正しく守り、これを軽んじることなく、勝手な振舞いをしなければ、世の権威として万人の指導者となること、どの芸の道でも変わりないのである、と。
さて、これを現代にあてはめるなら、芸道と、学問の世界や実業界とでは、あるいは、なにかにつけ違いはあるだろうが、以上の法師の戒めは、根底において、数百年を閲した今も、色褪せたとは思えない。道につかんと思う人よ、肝に銘じるべし、といいたくなる段ではある。
”諸道変るべからず”と締めくくっているが、身に覚えある人無きにしも非ずであろう。
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