日記随想:徒然草とともに 2章 

 灯のもとで独り読書を楽しむよろこびを述べたあと、兼好は古くから日本の貴族社会を中心に官僚たちのたの伝統的な楽しみでもあり、たしなみでもあった和歌について、私見を述べる。
 彼自身も、機会あるときは、あちらこちらの歌会にも出席したり、当時出された歌集の選に入首したり、家集もあり、古今集やその他の古典をよく読み、楽しんでいるから、かれが和歌という詩形式を愛していなかった、と早とちりするつもりはない。彼はただ当代の和歌が、いにしえの風格を失っているように思われてならない、と言いたいのである。実例も挙げて書いているが、つまり、五七五七七に収め、歌枕、決まりの歌詞、などの和歌の形式は、昔と変わらぬながら、”昔の人の詠めるはさらに同じものにあらず”というのだ。
 昔のひとの歌は詩のことばも、むづかしく凝ったりせず、平易で自然な素直さがあり、”姿もきよげで、かえって感動が深い。ただ言い捨てたような言葉であっつても、なぜ素晴らしく聞こえるのだろうか?と、惜しむのである。当時流行していた梁塵秘抄の素朴な歌謡などの言葉も,むしろ風情があってて楽しいと評価してもいる。この歌謡は1118年ころ後白河上皇が編まれた今様歌謡で、私もかつて読んだことがあり、その一つをうろ覚えながら思い出す。
 遊びやせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けばわが身さえこそ揺るがるれー、今手元に本がないので、うろ覚えだが、当時はこうした今様は楽しいリズムもあったようだが、惜しいことに今はそれは失われているという。

 いずれにしても兼好法師の当時の和歌に関する意見は、今でもよくわかり、かれの詩文に対する感性はやはり洗練されていて、本来の詩が持つ本質をよく把握していた、と思う。

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