徒然草とともに 2章 ㉙

39段は法然上人の教えのかたちについて、兼好の抱いていた感想を述べた章である。鎌倉時代の初期に、ひたすら念仏を唱えることで往生する、と説く専修念佛の教えをひろめ、浄土宗の開祖と言われた上人だが、あるとき、人に「南無阿弥陀仏と唱え続けているうちに眠ってしまい、行を怠ってしまう、いかにすれば、それを防ぐことができるでしょうか?」ときかれたとき
「目が覚めたらまた念仏されよ」と答えられた、のが、じつに尊い話だと感服、また「往生は確実と思えば確実、不確実と思えば不確実」ともいわれ、さらに「疑いながらも念仏すれば往生する」ともいわれた、ますます尊い話であると述べている。

 ゆったりとした寛容の精神で,頑なに一途にならず、ただ信じて一身をゆだねること、それにより愛と真実の道がひらかれる。これこそ宗教の神髄と言えるのではないか。上人が「ひたすら念仏を」と説かれるのはそういうことなのだと、兼好は把握しているのだと思う。そして真底、上人の飾らぬ答えを「尊い」とあがめるのである。

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