徒然草をひもといて 5章㊳206段

 203,204,205段と、古いしきたりや、取り決めが、時のながれと共に、忘れられたり、簡略化され、心得ている人も無くなりつつあることをなんとなくおしみつつ呟き、筆をとって徒然なるままにあれこれ書き留めている故老を彷彿させる段が続く。
 さて、そのはてに、ちょっとおかしいのが、206段に登場する検非違使自邸の使庁舎で起こったアクシデントである。  
 検非違使といえば、もともと平安時代からあって、当時はいまでいう警察と検事局を兼ね備えたような役職で、風俗の取り締まりばかりでなく、訴訟、裁判なども取り扱い、強大な権力を持っていたが、これはそう云う役所で起こった椿事、大変なようで、実際はそうでもないような事件で、犯人は実は一人の下級官吏が飼っていた一頭の牛だった。あるとき、それが、たまたま難しい評定のさいちゅうに、のこのこやってきて"にれうちかみて"(くちゃくちゃ反芻しながら)上に登り、浜床(最高上席役の別当が座る席)に横たわってしまった。時の別当は若くして役職にあった徳大寺公孝公で、官人たちは、これは重大な変異現象だ、と騒いで、この牛を陰陽師のところへ送り届けて御祈祷をさせよう、などと申し出たが、公孝公の父の実基公は「牛に分別などあるものか、足あればどこへでも登らずにいられようか。微禄の役人が、たまたま連れてきた痩せ牛を没収するいわれなどない」と云われ、牛を役人に返してやり、その寝転んでいた床の畳を取り替えさせられて終わったが、別にそのなんのの凶事も起こらなかったとのことだった、と語り、「怪しみを見て怪しまざる時は怪しみかえりて破る」という引用文を書き添えているが、その出典は不明で、多分当時の俚諺ではなかろうか、とも考えられている。
 裁判の席に詰めかけて緊張していた宮人たち、のこのこ上がり込んで、にれうちかみて、のんびり横になった痩せ牛の姿をみて、威儀を正しつつ柔軟な思考で、難なくことを処理した高位のみやこびと、いにしえの宮廷のほほえましい1エピソードといえよう。

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