徒然草をひもといて 5章㉔175段続

 酒を強いたり、悪酔いしてしまってさらけだす、かずかずのはた迷惑で、みっともない姿を、これでもか、これでもかと描写して”心憂し”などと嘆き”よろづの戎を破りて地獄に堕つべし”とまで書いた挙句、法師は、こんどは全く逆の角度から、お酒を嗜む楽しさを語り始めるのである。

 まず”かくうとましと思うものなれどおのづから捨ててがたき折もあるべし”と書き出して、実はここからが本当に云いたいことだったのかも、と思われるような美しい表現で、飲酒の楽しみをあれこれ描き出すのである。まずはじめに、
 ”月の夜、雪の朝(あした)、花のもとにて心のどかに物語りして、盃出だしたる,よろづの興を添うるわざなり”と書き出し、”つれづれなる日、思いのほかに友の入り来て、とりおこないたるも、心なぐさむ”・・・というのだ。
 まあ、どうぞご勝手に・・・と言いたくなるような手のひら返した表現である。さらに、普段それほど馴れ馴れしくない貴人のおられる御簾の中から、お肴やお酒を”よきようなる気配りでさし出されたる、いとよし”と述べ、さらに、冬、狭いところで,火を使って何か煎るなどして、気のおけない友達とさしむかいで、思う存分飲むのも、”いとおかし”なのだ。また旅の仮屋<今ならテント>や、野山などで「酒の肴何かないかな」などと云いながら、芝の上で飲んでいるのも面白い。ひどく嫌がる人が強いられて少し飲むのも、”いとよし”また身分ある人が、とりわけ「もう一杯どうか、盃が減ってないよ」などと、のたまうのも、嬉しい。近づきになりたいと思っていた人が上戸で、”ひしひしと”親しくなってしまうのもまた嬉しい。
 ともかく、上戸は楽しく罪のない者である。すっかり酔って朝寝しているところへ主人が来て戸をガラガラ引き開けると、慌てて寝ぼけ顔で、細いもとどりをむき出し、着物を着る暇もなく抱きかかえ引き摺りながら逃げる、その裾をたくし上げた後ろ姿の、毛の生えた瘦せ脛など、愛嬌があっておかしく、いかにも酒のみらしい、と、酒を飲む楽しさを、一転して愛情込めて描き出して終わる。
 
  

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