徒然草とともに 2章 ㉘

しばらく休んでしまいました。申し訳?ありませんでした。今後は健康にいっそう気を遣い、休まずお終いまで続けられるようやってみます。よろしくお願いします。

 さて前回38段に述べられた兼好法師の説「伝えて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず、・・・まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし、誰か知り、誰か伝えん、これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。もとより賢愚・得失の境にをらざればなり…」という説は、中国の哲人老子や荘子の思想に基づく東洋独自の考え方であって我が国にも連綿と伝えられてきたばかりでなく、数世紀のちの中国の明末の隠士、洪自誠の著「菜根譚」にもくりかえし述べえられている思想でもあります。

 こうしてこの段のおしまいに法師は「迷いの心を持ちて名利の要を求むるにかくの如し」と断じ、すべては皆実体がない虚しいもので「言うに足らず、願うに足らず」と言い切っています。

 世は変り、世界は大きな進歩(と言ってよければ)を遂げました。しかしながら、今人類が直面している現実はどうでしょうか?
 現在世界が、そしてこの宇宙が、直面しているのは、はかりしれないほどの、不安や恐怖に満ちていると云っても過言ではない、という気がします。人間の計り知れないほど進んだ知恵や欲望が生みだしたこの世界は、これからどう進んでいくのでしょうか?

 静かに見守るしかありません。そしてわたしもまことにささやかですが、ただいまできることだけを続けさせていただきます

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