徒然草とともに 3章 ㉒

 86段は、歴史を、考えずに読み過ごせば軽い小話、と思える段ではあるが、登場人物が、当時の京の都の文化圏では著名な、生没年さえ記録に残されている二人の学僧の、三井寺焼失という事件に絡む話で、気軽に読み過ごせないくだりのようだ。

 まず、惟継(これつぐ)中納言=平惟継、は後宇多・後醍醐帝に重用された大覚寺統の廷臣として異例の文章博士になった秀才で歌人、漢詩人としても才能あり、生涯読経に熱心で、戒律を守った人だった。同じ寺で同じ師範について学んだ同窓の円伊僧正は、園城寺(三井寺)随一の学匠とうたわれながら、寺門の有力者として政治的にも余儀なく活動、注によれば惟継は、こうしたことには批判的であったとか。園城寺(三井寺)が延暦寺の僧兵との抗争で焼失したが、もともと不毛な抗争だと、批判的だったらしい兼好、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは、法師とこそ申さめ」という惟継の句を、警句として才知の利いた表現と評価し「いみじき秀句」というのはやや褒めすぎ、とみるむきもある、と。 

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