徒然草をひもといて 5章㉑173段  小野小町がこと

 小野小町といえば、古くから、日本では絶世の美女として伝えられていて、現代でも「小町娘」といえば、美人の代名詞とされているくらだが、実は、いつどこにいたのか、その存在さえ定かではない謎に包まれている。
 兼好の時代にさえ、すでに“きわめて定かならず”と書かれているくらいで、この法師の説によると、9世紀から10世紀に、参議で、学者としても著名だった三善清行という人物が書いた玉造という文に、老衰した様子が記され、実は、それが、清行より先の空海の御筆目録にすでに書かれている(金沢文庫所蔵の目録)という。
 ともかく、その玉造小町なる女性、じっさいどうだったのか、”なおおぼつかなし”なのだが、その後もいろいろ話として書かれ、伝説の美女だが、これぞと思う男にもなびかず、驕慢だったものの、老い衰えたさまは、見るかげもなく、やつれしぼみ、この通り、という話だけが今に残っている。それが真言宗の開祖で、高野の聖として、今に尊崇される空海の御文のなかに残されている、というのも、わたしにとっては「なおおぼつかなし」である。
 とりあえず、老い衰えても、心だけは確と保ちたいと思う。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

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