徒然草をひもとく 4章 (15) 117段友とするにわろき者、よき友、120段唐のもの……

 いまさら言うまでもなく、徒然草は、書きもののジャンルとしては、随想とか随筆の部類に入る。
 随という文字が入つているのだから、なにを書くのも随意、表題も書き手の自由にゆだねられる。
 徒然草、というのも、和風の馴染深さを感じさせるいい表題だと思う。
 創作のようで創作でなく、実録のようで実録でなく、随意自由に、日常、身辺雑事から、遠い思い出まで、筆に乗せて運ぶ心の記録、内容はじつに多方面にわたっている。  
 118段や、119段では、天皇に差し上げる魚や鳥の調理万端にわたる当時のきびしい取決めなどまで書きこまれ、鰹などは、そのころは、はかばかしき人の前へ出すこともなく、頭は下僕でさえ切って捨てた、と、古老が言っているとかいう現代では考えられない話もあり、徒然草に親しんだ江戸人が、詠んだという「初かつおナニ兼好が知るものか」という川柳さえある、と注にもある。兼好法師は逆に、それが上流階級にまで歓迎されるのが末世のしるしだ、と嘆いているかのようなのだが。
  
 それはさておいて、117段に進むことにする。友えらび兼好法師流の段である。
 悪い友7つ、1.高貴な地位にいる人、2.若い人、3.無病で丈夫な人、4.酒飲み、5.勇猛な武者、6.嘘つき、7.欲深い人、
 今も昔も、人の世は、さして変わらないと、思わされ、常識的だが、痛い目にあって、はじめて判る厄介なものも含まれている。
 それなら、よき友は?というと、
3種ある、という。1.物くれる友、(それなら、あなたも欲張りではないか?と言いたいが)2.医師、3.智慧ある友、
 いかがであろうか。2番に医師をあげたのは、ちよっと意外で、それがいいか、悪いかは別として、この時代にしては進んだ近代的思考と考えられ、新鮮な気持ちになる。
 続いて120段は、この時代、我が国の唐との交易がいかに盛んだったかを思わせる段だ。
 書物などは、広く流布しているから、書写もできるし、唐のものは薬のほかは、なくても事欠かない。といいきり、唐の外洋船が荒波を超えて、実用品でもないものばかり積み込んで、所狭しとばかり、舶来品を運んでくる、“いと愚かなり”と決まり文句で切り捨て、中国古典、書経や、老子のことばを引き合いにだす。すなわち「遠いものを宝としない」とも「得難い宝を尊まない」というではないか、と。この時代に、中国との交易がいかにさかんであったかを示す証言でもあろう。






 

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