徒然草をひもとく 4章 (16)128段 養い飼うもの

 ”養い飼うものには、馬・牛。繋ぎ苦しめるこそいたましけれど……“。と書き出すこの段、とはいえ、かれらは、人間生活に、無くてはならないものだから、しかたない。また、犬は、人や家を守り、災いを防ぐ働きが人間よりまさっているから、かならず人間のそばで自由にしているのがいいが、家ごとに居るものだから、わざわざ求めて飼うこともないだろう、と。
 ということは、兼好法師の生きていた時代の京には、犬は、どこの家にでもいて、適当に餌にありついて、人間と共存していたらしい。
 現代でも、戦前は、人が住んでいる土地の周辺には、犬がごく当たり前にいて、飼い主がいるのも、いないのも、縄張りがあるのも、ないのも、普通によくみかけた。勿論、なかには血統正しい犬を好んで、大切に繋いで飼っている家もあったが、雑種の犬を、放し飼い同様にしている家もないことはなかった。
 勿論、ふえすぎても困るので、自治体に取り締まりの部署もあり、定期的に、一斉捕獲に乗り出し、掃討していたので、可哀想な運命になるのはかなりいたが、ある程度共存共栄で、のんびり暮らしていた、といえるかもしれない。
 時代をもとにもどそう。この際、法師が言いたいのは、好きこのんで、用もない鳥や獣をペットにし、走る獣は、檻に閉じこめ鎖でつながれ、鳥は飛べないよう、翼を切って籠に入れられ、空の雲を恋い、山野を思う愁いのやむときもないのが哀れというのである。かれらの思いを、ある程度わが身にひきそえて忍び難く思う心ある人は、どうしてそんなことを楽しむことが出来ようか。というので、こういう人間のエゴで、生き物を苦しめて喜んでいるなどは、後世に名高い夏の国の暴君、桀王や、紂王と同じ心だ。とし、それにひきかえ、詩人、王子猷が、林を逍遥し自由に飛び交って楽しんでいる鳥たを友とした例をあげ、これは“とらえ苦しめたるにあらず”と、諸書を引用して論じている。
 珍奇な鳥獣は鎌倉時代、さかんに中国あたりから輸入されていたようで、註によると、執権北条高時は闘犬を好んだ、といわれ、こうした傾向に、兼好はおおいに批判的だったらしく[珍しきとり、あやしきけもの、国にやしなわず] と文にもある、と結んでいる。定家卿なども同じ意見だったようである。


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