徒然草とともに 2章 ㊷ 52段、53段、54段

 52段、53段、54段と、御室の仁和寺を舞台にして、僧たちのかずかずの行状が、あけすけに描かれている。52段は老いた法師の石清水八幡宮参りの思い込みの頑なさ、53段は遊び心が昂じ、とんでもないことになった悲話、54段は他愛ないいたずらの失敗談など、仏道とは縁遠いエピソードがあけすけに披露されている。

 およそ遠い昔にあった話。笑って読み過ごしていいのかも?こんなことになったり、書かれたり、やれやれ可哀そうに、と、軽く読み継がれてきたのだろうか。徒然草の中でも、この段は、今も残る桜の名所、京都御室の仁和寺の名が、忘れがたい印象を残すエピソードかもしれない。

 そもそも弘法大師の説いた真言宗にもとづいた総本山仁和寺の創建は、宇多天皇の仁和4年、紀元888年、以来代々法親王が住持し、御室御所と呼ばれた格式高いお寺であったが、当時すでに法師たちが退廃堕落していた実相を、あけすけに描いた3つのエピソードである。

 我が国の皇室が、佛教の大本山を建て、皇子たちに護持させながら、その一方で八幡宮は皇室守護神としてあがめる、という形態をとっているのもちょっと信じがたい気がして、仁和寺の法師たちのいたずらもむしろ他愛なく見えてくる。具体的にはどんな話だったのか、次回かいつまんで紹介することに。

  

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