徒然草とともに 3章 ④

 法師が56段で述べる、人と人が交わるときの心得るべきマナーというか、感覚は、現代でも共感でき、読む者のこころに今でもぴんぴん響く新しさを備えている。

 本書を解説された小川博士も、「近世以降多くの読者を獲得したという視点を重視すれば、徒然草はむしろ近世文学であるとの視点も成立する」と述べておられるが、まさに近世の識者に、仏教者でもありながら、“李老の虚無を論じ、荘生の自然を説いた”と称えられ、識者はもとより、一般的な商人や富農にも、処世訓として読まれた、という広さ「隠遁者の自由な境遇、あるいは何者にも束縛されない自然な生を称揚し・・・」「日常卑近な話題から始めて次第に論点を深めていき、いつしか普遍的な省察へと誘導する巧みさは空前である」と称えられる新しさを備えている。   

 そういえば、数十年前になるが、わが家を訪ねてきた知り合いの司法書士を仕事にしている人物が「ぼくは生き方のすべてを、徒然草をお手本にしているんです」と嬉しそう、というよりむしろ誇らしげに言ったことが、いまもなんとなく心の隅に残っている。

                                                                                                                                                          


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