徒然草をひもといて 4章 (34)134段 おのれを知るを、物知れる人といふべし

 紀元1100年代後半、高倉天皇の御代、京都東山区の清閑寺、法華堂の三昧僧(念仏を唱えたり、お経を読むなどの専従僧侶)だったある律師は、あるとき、ふと鏡を手にして自分の顔をつくづく眺め、❝わがかたちの醜くああさましきことを余りにも心憂く覚え❞、鏡を見るのさえうとましい心地となり、その後は、長い間、鏡もおそれて手にも取らず、人にまじわることもなく、御堂のお勤めにだけは出席して、閉じ籠もって過ごした、という話を聞いた、と述べた兼好法師は、これはめったに無い心がけだと思う。と高い評価を与えて、人が、真に人として生きるためには、どんな心構えが必要か、について、こと細かに独自の見解を述べていく。
 ”賢こげなる人も、人の上をのみはかりて、おのれをば知らざるなり。我を知らずして外を知るという理(ことわり)あるべからず”
 卓見だとは思うが、哲人ソクラテスの、汝自身を知れ、とは、立ち位置が違い、日本版哲人のそれは、”身の程を知れ”程度のソフトな感触で、説き聞かせ、現実的で、具象性を帯びていて解りやすい。
 しかしながら、”されば、おのれを知るを「物知れる人」といふべし“と述べるのみで、こういう生きかたをする人を
「賢人」とまでは言っていない。
 いずれにしても、我を知らない人として一番に、あげられるのが、❝かたち醜けれど知らず❝という人、つづいては❝心の愚かなるをも知らず❞という人、さらに藝が拙いのも知らず、数ならない無名の身であることも、年老いたことも、病に侵されるのも、死が近いことも、修行の道が半ばだということも、また、自分の欠点も、自覚していないから、他人が、自分のことを謗っていることも知らない、という有り様だと述べ、容貌ならば鏡にうつるから解るし、歳は数えれば解る、わが身のこと知らないわけでは無いが、どうすればいいのか、やりかたが無いという
のは知らないのと同じであろうと言える。だから、いまさら、姿かたちをあらためよ、とか、若返れ、と言うのではなく、いろいろ劣っていることを悟ったら、例えば老いた知ったら、なぜ静かに身をひいて、安楽にしていないのか、修行ができていないと知ったら、なぜそれを深く悟り、考えてみないのか。
 と並べたて、その結論として、きわめて常識的な訓戒を述べる。
 すべて人に愛され親しまれずに、みんなと交際するのは恥さらしである。姿かたちが醜く、心も愚鈍なのに出仕し、無智なくせに博学な人に交わり、未熟な藝をもって練達の士の座につらなり、雪のような白髪の身で、壮年の人達と肩を並ベたり、いわんや、及びもつかないことを望んだり、出来もしない叶わないことを嘆いたり、来るわけもないことを期待し、人に気兼ねし、媚びへつらうのは、そもそも人が与えた恥ではなく、貪る心に惹かれて、自分で、わが身を恥ずかしめているのである、と述べたてる。 
 
 しかし、人が与えた恥ではない、というところで、この人というのはどういう概念になるのか、少々解りかねるのだが、
 とにかく、こうした貪る心がやまないのは、命を終える大事が、今ここに来ている、ということを、しっかりと知らないからである。というのが結論になるのだが、兼好法師が、仏教徒として、出家遁世した身であることを考えると、この結論はもっともと思われるが、だからといって、現代生きている身で、いますぐそれをわが身に当てはめて、自戒しよう、ということになるとは、考えにくい。
 けれども、なるほどねぇ、とちょっと立ち止まどまって考えてみるのも、いいかもしれない。
 
 

 


 


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