日記: 10月3日*随想 徒然草とともに❨8❩


兼好法師は、「神曲」を書いたイタリヤの詩人ダンテ・アリギエーリとほぼ同時代のひとである。彼の代表作は、詩人が、数夜のうちに、生身のまま、地獄、煉獄、天国をめぐる架空の壮大な詩劇「神曲」である。そして、天国で、詩人を先導する天使のような麗人が、詩人のかつての想いびと、ベアトリーチエだった。
 架空劇とはいえ、登場人物はすべて、神話を除いては
実在した人物ばかり、ベアリーチエも、若くして世を去った、かつて彼が唯一無二のひととして憧れていた、同じフィレンツの街に住む美しい人だった。
 当時のイタリアは、主たる都市が、それぞれ都市国家として、割拠し、麻糸のように乱れていた。フィレンツェは中でも、中部イタリア第一の都市として、豊かな富をたくわえ、文化花開く繁栄を誇っていたのだが、内実では、権力闘争が絶えず、互いに、黒派、白派にわかれて、対立し、つねに分裂の危機をはらんでいた。
この街で、下級貴族の生まれだったダンテは、知能すぐれ、早くから詩人として、頭角をあらわしていたが、こうした状況に耐えられず政界にのりだし、頭角をあらわしたものの、黒派の謀略で失脚、国外追放のうえ、あてどない放浪の身となる。詳しいことは省略するが、こうした境遇のなか、心血をそそいで完成させたのが、邦訳「神曲」だった。原題は、「ディヴィナ、コメィディア」前記に簡単に紹介した内容の作品であるが、名作として、今も輝かしい魅力を放ち、イタリアが誇る第一級の作品である。
聖なる美女ベアトリーチエにたいするとび抜けた讚美 にしても、 ヨーロッパでは、特に突出した恋愛観とはいえないこうした取り組みが、受け入れられ、名作として今に残る風土と、あのころの日本の宮廷文学や、また、兼好などの世捨てびとの作品との違い、これは、宗教観ばかりではなく、むしろ、それを受け止める社会全般の知性、にくらべ。より感 性への依存度の高さとしてあげられるかもしれない。それは、いわば花鳥風月の世界の重み、とでもいえるかもしれない。 
思い出されるのは、大学のフランス文学の教室で、生島遼一先生が「お菓子と恋愛はヨーロッパのほうがおいしい
です」と笑われたことである。さらに、これとはべつに、日本文化には、独自の哲学というものがない、というのは、かねての私の持論だが、本格的に、この分野に独自に、とりくまれたのは、大雑把なくぎりかもしるないが、西 田幾多郎先生ただひとり、というのは、あまりにも残念なことだとかねがね考えてきた。この理由については、日本の教育現場の薄弱さをはじめ、2、3確かにあげられるけれども、それを今ここで述べるのは控えておく。


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