徒然草とともに→をひもとく 4章 ❨13❩ 112段 諸縁放下すべきときなり

  徒然草をひらいて、ほぼ半ばの100段台まで辿りついて、当初、思っていた考えが甘かったことを痛感するようになった。  
 言い訳がましいことを言っても仕方ないが、〈とともに〉はないだろう、と法師がつむじを曲げ、107段の文言にあるように“物の理を知らず”…“すなおならずしてつたなきもの”…“女の性はみなひがめり”、と断言され、いまさら、“むつかし”と反論したところで“痴れたる気象、心憂し”と、言われるばかりなら、せめて〈とともに〉ではなく〈ひもとく〉に変えて、話題をえらび、心鎮めて教えに耳を傾けることにしようと思う。章わけや番号はそのまま継承することにする。         

 そこで、次に読むつもりなのは、やや暗い語調で閉じられる第112段である。
 ❛日暮れてみち遠し。吾が生すでに蹉跎(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり……謗るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ❜と、閉じじられる段である。
 なんども繰り返して読んでみると、語調は決然として、挑みかかるような調子だが、実は、楽天的とも受け取れないことはない。
「兼好法師の生きた鎌倉後期は、実は一般に考えられているより、ずっと洗練された社会であり……」と解説にもあるように、一筋縄の安易な解釈はゆるされないが。白氏文集を愛読し、詩人白居易を敬愛した法師、他方佛教思想にも通暁、老荘思想から孟子まで読みこなしたた上での、❜諸縁を放下すべき時なり❜なのである。何もかも投げ出して、昼寝せよ、と言っているのでないことは勿論で、注によれば、仏道修行に邁進せよ、と説いている、とある。
 現代に生きる身として、そんなことできるわけない。と投げ出す前に、暫し立ち止まり、自らの人生に引き当てて、考えてみるのもいいかもしれない。


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