徒然草をひもといて 5章⑩151段ある人のいわく、年五十になるまで・・・

 この段の趣旨は、二十一世紀には、もう通用しないような言説ながら、二十歳うわのせして、七十と読み替えて耳を傾けてみれば、多少は参考になることもあるかもしれない。
 ”ある人のいわく”法師は、私が思うに、とは書いていない。すなわち、あくまでも、ある人の意見なのである。”年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨てるべきなり”それは、どうして?答えは”励み習う行末もなし”だからである、と。そして想像しながら描き出す図は
”老人のことをば人もえ笑わず”つまり年寄りの冷や水、若い人は、おかしくて笑いたくても、こらえなきゃならない。だから”衆に交わりたるも、あいなく見苦し”これを現代語訳で見ると「場違いでみっともない」と。
 ここで、法師の持説がやおら顔を出す。”よろづのしわざはやめて暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ”年寄りは閑静にして暮らせ、というのが法師の常々のモットーであるから、なるほどである。けれども、暇があって、のんびり静かに、はいいとしても、ぼーとしているのは、めやすくあらまほしけれ、というほど、理想的とは考えられないご時世である。それに”世俗のこと”といわれるが、芸事も世俗のことだとして、それに携わって生涯を送るのは"下愚の人”ときめつけるのは、いいすぎではなかろうか?
 そして、年寄りは、いいな、おもしろそう、と思うことは、聞いて学んでもいいが、大体の趣旨がわかれば、理解できるという程度でやめておくのがいい。”もとより望むことなくしてやめるのが第一のことなり”と結論付けられると、註によればこのあたり、孔子の論語にある教えとのことらしいが、いかがなものであろうか。

 

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