徒然草とともに 4章 ⑧ 105段…人離れたる御堂の廊

 105段は、104段につづいて、日陰に残雪凍りつく京都の冬の朝まだき、御堂の廊下  で語らう男女、乗ってきた牛車のながえに置かれた霜も“いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、くまなくはあらぬに”などと、わずか数行で、人けのない御堂を中に、真冬の有明の月さやかな空も、残雪凍てつく日陰の土、牛車の長柄におく霜の煌めき、など、まわりはいったいの風景を、さっと一筆て、描いてみせる和文のわざ、たかがスケッチと侮るなかれ、ここにあるのは、日陰に消え残る雪も凍てつく京の朝ぼらけ、乗ってきた牛車のながえにも霜煌めき、見あげれは、有明の月さやかに輝く天空は、昼夜をわかたずめぐる宇宙とつながり、御堂のかたすみでは、去り行くときをおしみつつ語らう男女のすがた、数世紀のちの俳諧文學の感性はすでにたっぷり内包されている。王朝風に、えもいわれぬ匂い、が、さ、と薫ったりはするけれども、やがてくる江戸の軽み、につながる気配は、たしかにある。
 ともあれ、この当時の伝統的なかずかずの文芸世界が、
兼好法師も当然関わった、連歌から連句、俳諧へと、世界でもあまり類のない短詩形式で、孤高と集いの文芸を育てる土壌となった、ともいえるかされない。
 ともあれ、中国渡来の哲理と、仏の教えで身につけた智慧と悟り、さらに揺れ動く世のさま、まことに“心に、うつりゆくよしなしごと”とはいえ、書いてゆくうちに、あやしゅうこそものくるおしけれ、という心境になった、
というのも、あながち粉飾的表現とは言い切れないと思う。
 



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