日記随想:徒然草とともに 2章 ①

 この章から、できれば兼好法師の考えや、見方に耳を傾ける形で、徒然草という草紙を味わってゆければ、と思っています。時を超え、人間の生きる道筋を、ともに探ることができればと願いつつ。   

 静かな京の都の昼下がり、訪れる人も無き独り居の気楽さ、卓にむかい、来し方さまざまな思いを胸に、この先はどう生きるかを、思いめぐらすうち、おのずと胸に湧き上がる言の葉を書き留めておこうという気持ちに駆られ、紙をひろげ、硯引き寄せ、筆に墨を含ませ、書きはじめた。
   
 そもそもこの世に生まれてきたからには、人それぞれ願うこともあまたあろう。
天子の血筋を受け、生まれながらに気品漂わせている人たちは別として、地位に応じ、したり顔して大したものと思っている者たちも、考えてみれば実に下らない。
  
 仏門で権勢を振るい、声高に喋り散らして名声を得ていても、えらいとは思えない。清少納言が、法師ほど羨ましくない人たちはない、人には木の端くれのように思われてる、と書いていたが、それこそまさに確かな見かたと思う、その昔,多武峰に隠れ棲まれた天台宗の増賀上人も申されたように、名声高いなどとというのは、仏の御教えとは違うのではないか、と考えられる。ひたすらな世捨て人のほうが、なかなか見事なあるべき姿といえるであろう。 


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