日記随想:徒然草とともに 2章 ㉑

 "静かに思えば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき”
第27段から引き続いて草紙の調子は沈みがちである。静かに思うと万事過ぎ去ったことの恋しさばかりはどうしようもない、というのはどういうことなのであろうか、人の行き来も途絶え、あたりがすっかり静まった夜更け、秋の夜長をもてあますかのように、調度の整理などして、残しておくつもりもない反古などを破り捨てたりしいるうちに、今は亡き人の書きのこした手習いや、たわむれに書き散らした絵などが見つかったりすると、そのときの様子までありありと思い出される、いまも存命の人の手紙など、近ごろ疎遠になっているけれども、なんの時だったか、いつの年かしらと思うのもおもむき深く、使い慣れている抽斗なども無心に変わりなくいつまでも傍にあるのも悲しい、と。
 今でも日常身辺でよくある話のように読み過ごしがちだが、その実単なる感傷とは受け取れない深い思いがこもっている気がし、考えてみると後醍醐帝の即位の時期ではなかろうか、抑えてはいるけれども時代の不穏な政情が、ひそかに反映されしているのかもしれない。                                        









思い出され、



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